石の2 赤いカレーの謎


夕月のカレー1 カレーライスといえば、様々な思い出がある。
まず、子供の頃、家庭で食べていた黄色いライスカレー。
そして、高校生になって初めてレストランで食べた
茶色い本格的な欧風カレー。次に、東京で社会人になり、
インド料理店で食べた複雑な味のインドカリー、そして、
もっと大人になってから、タイ料理店で食べたとても辛い
グリーンカレー。さらにさらに、先祖返りをするように、
キャンプの野外料理で大勢で作って食べる普通のカレー。
大塚のボンカレーも好きだった。どれも好きだったが、
ただ、懐かしさからいえば、東京時代、京王線と中央線の
乗り換えの新宿駅内の通路にあった、立ち食いカレー屋の
ポークカレーが忘れられない。通勤の朝、よく食べたものだ。
うまかった。

ただ、そのカレー食の歴史の中に、ひときわ異彩を放って
点として存在した、赤いカレーというのがある。
スープ状であり、具はほとんどなく、辛みもほとんどなく
これがカレーかなあと首を傾げながらも微妙なおいしさが
あって、とにかく不思議な味なのである。赤いといっても、
トマトを使っているわけではなく、純粋に何かのスパイスに
よる赤さらしいのだ。
長崎では「夕月」、東京では新宿の紀伊国屋書店の地下食堂街に
あったインド風のカタカナの名前の店だった。別にチェーン店でも
ないし、兄弟店でもないし、独自にやっている店らしい。
でも、ぼくの思い出の中ではどちらも、赤いカレーとして、
同じ味なのである。是非もう一回、食べてみたいという思いが
つのっていた。

で、ある時、東京に遊びに行く機会があり、妻の手を引っ張って
新宿・紀伊国屋の地下街に降りた。昔と様相はすっかり変わっていて、
もうあの店はないかと思ったが、なんと隅っこに小さくなって存在
していた。店の名前も同じだ。カウンターに座り、カレーライスを
注文し、出てきたカレーの赤い色を見てぼくは「同じだ」と興奮し、
懐かしく食べた。が、「??」沈黙した。違う。
店を出た後、妻が「本当にあれなの?全然おいしくないね」と
言った。そして、ぼくもそう思ったのだ。味が変わったのだろうか?
それともぼくの舌が変わったのだろうか?全くわからない。
しかも、その店はどうもあまりはやっている様子でもない。
わけがわからなくなってしまった。赤いカレーのおいしさは
どこへ行ってしまったのか?あの頃、押しかけていた若者は
どこへ行ってしまったのだろうか?

と思っていたところ、長崎に帰る機会があった。
そうだ、長崎の赤いカレーの「夕月」はどうなっているのか?
妹に聞いてみると、場所は変わったが、まだあるという。
長崎の「夕月」も小さな店だったが、歴史は古い。なにしろ、
ぼくが中学生の頃に食べに行っていたのだ。
とにかく人気店で、長崎に住んでいる昭和の人間なら一回は
食べに行ったことがあると思う。しかし、母も妹も大人になって
からは食べたことがないという。とにかく、妹に先導してもらって
浜町アーケードを捜し回り、やっと見つけたのだった。
狭いビルの2階にあり、階段を上がると、おお!いい香りがする。
しかも、けっこう若いカップルなどがいるではないか?
しかし、今回はそこでゆっくり食べるヒマがなかったので、
レトルトパックを二つ買って帰ることにした。ひとつ250円。
店で食べれば500円なので半額である。

そして、実際に食べたのは、仙台に帰ってからであった。
パックを鍋で温めてから、皿にご飯を盛り、開けてみる。
おう!見事な赤である。具は豚肉が二切れのみ。これもいい。
だいたいぼくは、いろんな具がゴロンゴロンと入っているカレー
というのは好きではない。こういうルー主体というのがいい。
立ちのぼる香りもいい。そしてやおら、スプーンでご飯と一緒に
口に入れてみる。おお!うまい!これだ!これこそが赤いカレー
なのだ。ぼくは本当に感激してしまった。懐かしかった。

食べ終わってから、もっと買ってくればよかったと思いながら
ふとパックの袋の説明を読むと、意外なことが書いてある。
「これはレトルト用食品ではありません。その日に出来たものを
詰めただけなので、賞味期限は3日間です」と書いてある。
夕月カレー そうなのか。実直な店である。

それにしても、後で妹と振り返って話をしてみたが、夕月は
古い長崎人なら誰でも知っている店であるが、必ずしも大人気と
いうわけではないらしい。なにしろ、今や日本には世界中の
料理店があり、カレーも様々だ。しかも最近は辛さを好む若者が多く、
夕月のような辛くもない、カレーライスとしては異端の不思議な味が
ブレイクすることはないのだという。
それでも、中学生の頃から今まで続いているというのは、
長崎人の口伝えと、その不思議な味の魅力のせいではなかろうか。
長崎に来たら、一度は食べて欲しい味である。
とりこになる人はきっと、とりこになる。
(2009年9月)

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