石の2 あの頃のぼくはバカでしたという話


あの頃11 若い頃の自分を振り返って「あの頃の自分はバカだったなあ」
と思うのは、けっこう誰にでもある普遍的なことである。
ぼくの場合も、青春時代の想い出にはそういうことがいっぱい
ある。思い出す度に顔が赤くなったり、「ワアー!」と声をあげたく
なったりする。ただ、静かにバカだったなあと思えることもある。
例えば、団塊の世代の尻尾として学生運動に加わったことだ。
反体制運動だったと格好よく言えば言えるが、単純に言えば、
共産主義思想のブームに乗っていただけの話だ。

あの頃の学生運動は「浅間山荘事件」の衝撃によりいっぺんで
引いてしまい終息したが、世界的に見てもソビエトの崩壊により、
共産主義の理想は、夢まぼろしだったのだと世界中が理解した。
簡単に言ってしまったが、ぼくらが生きた20世紀において、最大の
歴史的事件は共産主義国家の勃興であり、その崩壊である。
なぜならば、共産主義ひとつで、スターリンと毛沢東の時代に
2億人を殺してしまったのである。

では当時、学生運動をやっていた若者が共産主義に疑問を
持たなかったかといえば、そんなことはない。
なにしろ漏れ伝わってくる情報によれば、ソビエトがどうも貧乏な
ようなのである。民衆の生活では、デパートの売り場にろくに
品物がないとか、パンを買うにも長い行列に並ぶのだとか、何か
おかしいのである。そして、あちらの青年は自由主義世界に憧れて
あの頃3 いるというのだから、どうも話が違うぞとは思っていたのだ。
だから、ぼくらはヘルメットをかぶってデモに参加して米帝打倒だの
日帝粉砕だのと叫び、酒を飲んでインターナショナルを歌っても、
部屋に帰ると、ビートルズを聞き、ハリウッドの映画を観て、欧米の
文化に憧れていたのである。なにしろ当時のぼくの格好からして、
長髪にベルボトムのカラージーンズを履き、ピンクのTシャツという
いでたちで街を歩いていたのである。いったい、どこが共産主義かと
思うのだが、要するに共産主義を基調とする反体制運動に浮かれて
いたのである。それが時代だった。それに煽られたボクはバカだった
なと今、静かに思うのである。それが青春というもんだ。

ただ、今になって振り返って、不思議に思うのは、あの当時、進歩的
文化人と言われて、共産主義を理想として説いていた多くの学者や
ジャーナリスト達はどうしているのかということである。
想像するに、ハンガリー暴動や、プラハの春などの事件が起こった時
「え!うそ!」と動揺したはずである。理想的な国家である共産主義
圏内でそういうことが起きることはあり得ないのである。しかし実際に
起こってしまった。最後は、東西ドイツのベルリンの壁の撤去であり、
ソビエトの崩壊であった。そこに至っては、多くの左翼思想の文化人が
「なぜだ!」とうろたえたはずである。しかし、彼らが表立って
「あの頃のボクはバカでした」と表明するのを見たことはない。
1989年当時、司馬遼太郎さんがドナルド・キ―ンさんとの対談で
「以前、ソ連を担ぎあげる言動をしてきた日本人で、これまでの自分
の言動がまちがっていたと言う人がきわめて少ないのは不思議な
ことですね。」と言っていたが、やはりそうかと思う。

同じように思うのが、1950年代から1984年まで続けられた、
anokoro2 在日朝鮮人の北朝鮮への帰還運動である。北朝鮮が呼びかけて
日本の朝鮮総連が呼応し、「北朝鮮は社会主義国だから、教育も
医療もタダだし、差別も格差もなくみんなが希望に満ちているのだ、
さあ、北朝鮮に渡ろう」と宣伝したのだ。今考えれば、とんでもない
大ウソだが、それに騙されて、30年間に10万人の在日朝鮮人
が渡り、その中には多くの日本人妻もいたのである。
そして、その大ウソを大々的に支援したのが、朝日新聞を始めとする
大新聞やマスコミと進歩的文化人だった。例えば、美濃部東京都
知事であり、べ平連の小田実(まこと)であり、ノーベル文学賞の
大江健三郎だった。彼らは北朝鮮を「地上の楽園」と褒め称えていた
のであり、40年間に渡って、北朝鮮を称賛しつづけたことになる。
今ではウソのような話である。
当時、ヒットした映画に吉永小百合が主演の「キューポラのある街」と
いうのがある。それは、川口市の鋳物工場で働く若者の青春をドラマ
にしたものだったが、最後に、在日朝鮮人の仲間が北朝鮮に渡ると
いうのをみんなで歓喜の声で送り出すというのが最後の麗しいシーン
となっていた。当時はそれが北朝鮮のイメージだったのだ。

さらに、北朝鮮による日本人拉致に関しても、社会党は「そういうこと
は、ありえない」と言い続けたのである。共産主義を唱えている北朝
鮮や中国に対する盲従とも思える称賛である。
現在の中国や北朝鮮は、共産主義とも社会主義ともおさらばしてしま
った、ただの独裁国家に過ぎないが、社民党の議員はそういう現実を
わからないらしく、あちらの国を今でも、社会主義の理想を実現して
いる国と見なしていて、その勘違いのまま、中韓に同調して、今の
日本が軍国主義だと一緒になって叫んでいるのである。

それにしても、ぼくが若い頃、すばらしいジャーナリストだと信じていた
のに全く裏切られてしまったのが、朝日新聞の本多勝一である。
この人は元々人類学のルポを書く人であり、ぼくが高校生の頃に、
「極限の民族」「ニューギニア高地人」「アラビア遊牧民」などの著書で
多くの賞を取り、朝日新聞のスター記者となる。ぼくもそれらの本を
読んで、おもしろくておもしろくて、とても影響を受けたのである。
ところが、この人が中国に足を踏み入れてからおかしくなる。
「中国の旅」というルポを朝日新聞に連載すると、日本軍が中国で
犯したという残虐行為を次々と書き立てるのである。その代表的な
ものが「南京大虐殺」である。その著書に使われた証拠写真と言われ
るものが後に、全く関係のない写真を流用したものだということが
あの頃4 発覚しても彼は謝罪もせず、あくまで日本軍の悪行を声高に語り、
実際より膨らませて執拗に追及したのである。彼の意図は、日本の
過去の軍国主義への批判なのだろうが、その度が過ぎたようで、
捏造までも伴い、それが中国共産党によって、反日教育の教科書に
採用されてしまっても、どうぞどうぞと提供するようになった。今では、
すっかり北京に厚遇されて、反日思想家になってしまった。

同じことは、1980年代の流行作家だった森村誠一にも言える。
「人間の証明」「野生の証明」が角川映画で大ヒットし、次に書いた
「悪魔の飽食」では日本陸軍の741部隊という細菌兵器を研究する
機関のことを小説にして、その研究の過程で、日本軍の醜い部分を
暴くことに熱中するようになった。それが今も変わらず、共産主義の
オタクであり、反日思想家として全国を講演して回っている。

ぼくはつい最近まで、小田実や、本多勝一や、森村誠一や、
大江健三郎などが、そういう人だったことをほとんど知らなかった。
どうりで近頃はその消息を聞かないなあと思っていた。
こういう人々は、「あの頃、ぼくはバカでした」とは絶対、思わない
種類の人なのだろう。
(2014年2月)



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