2の石 初めての青森・1……1998・7月19日/20日


青森1    ついに行ってきました。青森の三内丸山遺跡。
 佐賀の「吉野ヶ里遺跡」は福岡時代に行ったので、
 これで、弥生と縄文の二大遺跡を制覇したことに
 なる。チョモランマとマッターホルンの二つを制覇
 したような気分。
  仙台から青森まで遺跡を訪ねて300キロ。
 車で高速を使って約5時間。高速料金で7600円。
 5時間といっても、サービスエリアがある度に、
 いちいち寄ってはフンフンと見物しまくっていた時間
 も含む。

 三内丸山遺跡には青森ICを降りて15分ほどで
 着く。はずだったが、現地に行ってみると、
 誘導警備員がわんさかといて、ずっと向こうの
 臨時駐車場へ向かえと地図をくれる。
 行ってみると、未舗装のものすごい、だだっ広い
 駐車場があって、シャトル・バスが数十台待機している。
 何事かと思っていると、ハッピを着たオジさんが渡してくれた
 立派なパンフレットによって、事情が明らかになった。実は、
 『活彩あおもりー輝く青森新時代―<青森県文化観光立県宣言>―
 ふるさと大祭典』という、県内あげての一大イベントを
 三内丸山遺跡を会場にして、
 この日から一週間に渡ってやっていたのだ。はあ。

  シャトルバスに乗り換えて現地に着くと、ものすごい人出。
青森2  物産売店や飲食店のテントが立ち並び、立派なステージも
 あり、すでに太鼓や舞踊で盛り上がっている。
 太古の遺跡に触れて、心静かに感動しようと思って来た
 だけに、このお祭り騒ぎには、いささか面食らってしまった。
  そして、青森の暑さにも面食らった。
 仙台が毎日曇りで肌寒かったので、短パンを持って
 こなかったのだが、それは完全な間違いだった。
 青森は青空のピーカンで、暑く、そして熱かったのだ。

 三内丸山遺跡のシンボルである巨大物見やぐらの前に
 立つ。
 その一本一本の栗の大木が、きょ、巨大である。
 縄文人はどうやって、こんな大木を加工し、
 ぶっ立てたのだろうか?やはり、実物を見ると唸る。
 復元された集会場の建物も大建築ですごい。
 夫婦で口を開けたまま眺める。感想レポートを提出せよと
 言われたら、「とにかく、すごい」、と書きたい。
 6つくらいある高床式倉庫の下の影には、
 炎天下を避けた見物客が集まり、シートを広げて
 弁当を食べていた。遺跡には樹木がないので、
 炎天下はたいへんなのだ。食堂もあるが満員だし。

 それにしても、このイベントで感心するのは、
青森3  全てが無料ということだ。
  元々、遺跡見学は無料なのだが、夕方から始まる
 オカリナの「宗次郎」のコンサートも無料、有名人や学者を
 呼び集めての講演会も無料、シャトルバスも無料。
 シャトルバスなんて、青森の全てのバス会社から、
 高速バスも路線バスも雑多に寄せ集めて80台も
 用意していて、それも、満員になって出発するってんじゃ
 なくて、待たせないようにどんどん出発する。
 会場では、来訪者の一人一人にリンゴの缶ジュースの
 サービスもある。えーい、赤字だ。青森の心意気だ。
 青森を知れ!という気概が伝わってくる。
 県をあげての村起こしなのだ。

  実はその前に、青森県に入ってカーラジオをつけたら、
 当地の有名人「いな・かっぺい」がずーっと青森県の
 ことをゲストと共に熱く語り合い、
青森4  淡谷のり子や、吉幾三の歌を流していたので、
 青森県のラジオでは毎日、こんな風に、
 めちゃローカル風なのかと不思議に思っていたのだが、
 何のことはない、協賛スペシャル番組だったのだ。

 彼が言うのだ。三内丸山遺跡というのは、4千年前の
 人々の遺跡です、と。エジプトやメソポタミア文明より、
 ずっと古いのです。エジプトより千年前に、青森には
 これだけの文明があったんですよ、誇りにしましょう、と。
  そして、人間なんてたかが3千年、4千年くらいで変わる
 もんじゃない。当時だって、笑ったり怒ったり、人が集まれば
 楽しくて騒いで、今日と同じようにバザールがあって、
 「今日はクルミを安くしとくよ」
 なんて声を上げてたはずだという。
  土器に模様をつけてたんだから、着る服にもいろんな
 オシャレをしていたはずだ。縄文人だからフンドシみたいな
 格好で歩き回っていたなんてウソだという。ほんとそうだと
 思う。

 この人はお笑いというよりは、総合タレントあるいは司会なんだけど、
 話術がたくみで、ゲストとの対談でも、深い話を引き出しながら、
 聞いていてずっと笑えたし、青森についての認識もずっと深まった。
 このラジオ番組と相まって、イベント会場での主催者の本気さにも
 感激した。芯から、青森県はすばらしいぞ、青森を知ってくれと
 本当の本気で、熱を帯びてやっている。
 その雰囲気に飲み込まれそうだった。

  すごいと言えば、青森弁もすごい。全くわからない。
 隣に座っている家族の会話が全くわからない。
 言葉に関していえば、ここはひとつの外国である。
青森5  東北弁は東北弁だが、他の東北弁とは語彙までが違う。
 優子ですら、ヒアリング不可能だという。
 韓国語か沖縄語を聞いているみたいだ。イントネーション
 が、沖縄に似ているとも思う。どちらも縄文人の流れを、
 くんでいるからと解釈するとわかりやすい。

 沖縄人も青森人も、弥生人の迫害を受けて、
 北と南に分断された、縄文人の末裔なのだ。
  三内丸山遺跡が栄えた頃には、今よりずっと気候は
 温暖だったらしいし、演歌で歌われるように
 寂しくはなかったのだ。
  今回のイベントはそういういう、昔の縄文時代の活気を
 青森に取り戻そうという意味合いが強い。
  青森については、今まで、雪と寂しさと不毛の土地
 というイメージしかなかったが、見方がすっかり変わってしまった。
 青森はおもしろい。
 仙台に引っ越して3年、東北に関しては、山形がとても風景が
 きれいだというのが新しい発見だったが、今回の青森の発見で、
 東北がずっと立体的に見えるようになった。
 優子は「青森県のファンになりそう」と言うし、ぼくも青森が
 大好きになった。ただ、夏だけよ。

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