2の石 初めての青森・2


青森6  三内丸山遺跡を見学した後は、
 その日、泊まるキャンプ場を探さなければならない。
 頼りは「東北おでかけマップ」という雑誌のみ。
 ここぞと思うキャンプ場に電話してみる。
  6ヶ所問い合わせて、全て満員。すごい。
 アウトドアブームもそこまできているのかと感心する。
 感心している場合ではない。どーするのだ?

  困っていると、三内丸山遺跡でもらってきた
 観光パンフの一つに、「深浦町」というのがあり、
 そこの行合崎(ゆきあいざき)にキャンプ場がある
 と書いてある。電話で問い合わせると、無料であり、
青森7  予約はいらない、来た人順だという。
 よし、そこに行こうと決めた。クルマで1時間はかかる
 だろうが、ひとつの賭けである。もし、そこがダメでも、
 海岸というのは、どこでもテントは張れるもんだと、
 お気楽に考える。
 桜で有名な弘前市を抜け、一路、日本海へ。

 おお、日本海だ!と賞賛したい海岸を右手に
 見ながら、南へ走る。
 岩場がたくさんある。それが何よりうれしい。
  思えば、宮城県には岩場がないのだ。海といえば、
 荒海の砂浜しかない。磯遊びもスキューバもできない。
 つまらない。ぼくは、仙台に来てから海については、
 ずっとスネているのだ。

 行合崎キャンプ場は、海辺に面した緑の原っぱで、
 施設は何もないが、水場もトイレも駐車場もある。
青森8  少し荷物を担いで上り下りしなくてはならなかったが、
 なんのこれしきと思えるくらい、海辺の景色が素晴らしい。
 自称「夕日海岸」と名乗るくらい、海に沈む夕日が美しい。
 キャンプの穴場である。
 テントとタ-プを張り終えて、二人で椅子を並べて、
 海に沈む夕陽を観賞しながら酒を飲むという、
 年来の夢がかなった瞬間だった。
  水平線に夕陽が沈む。ジュ。

 周辺にはテントが林立していて、あちこちで
 花火が始まる。それを見ているだけでも飽きない。
 隣のテントでは、若者が宴会をやっていて、
 話し声が聞こえてくるが、青森弁なので
 ほとんどわからない。
 夜空には、星がわあすごい。星に疎いぼくに、優子が
 「あれが彦星、あれが織り姫、その間にモヤモヤ
 しているのが天の河なのよ」と、教えてくれる。
 「うーむ、そうなのか」。酒がうまい。

  翌朝は、午前5時にすごいサイレンが鳴って
青森9  起きてしまった。多分、町役場からだろう。?
 水辺を散歩する。水が透明できれい。
 岩場にフジツボやカキはついていないが、二ナやサラ貝の
 小さいのはついている。一人で磯たまりを覗き込んでいると、
 向こうにいた4,5人の子供達が近寄ってきた。
 「おじさん、何してるの?」
 サザエの殻を手に持って答えに窮していたら
 「それ何?」と聞いてくる。「サザエだよ。潜れば採れるよ」
 と答えると「おいしいの?」というので、
 「おいしいけど、苦いとこもあって、うーん大人の味だ」
 と答えると、「どうして、大人の味なの?」もう、質問が
 止まらない。
 誰かが「海に潜るとウツボがいるんだよね」というと、
 5人が次から次に「ウツボってどんなの?」「毒はどこから出るの?」
 「大きいの?」「サメより強いの?」「ワニより強いの?」
 「ワニは海にいないだろ」「サメとクジラならどっちが強いの?」
 と、かしましい。それにしても、彼らはきれいな標準語だ。
 こちらに合わせているんだろう。
 バイリンガルな子供達であった。

 午前8時、ああ、こういう海が仙台にも欲しい
青森10  と惜しみつつ、深浦町を後にした。
 帰りは高速を使わず、日本海の海岸沿いの国道を
 青森、秋田、山形とズンズン南下した。

 青森県の日本海側を走り出すと、すぐ目の前に
 現れる山が「白神山」である。ブナの原生林の
 豊かさで、世界遺産に指定された、
 あの白神山である。えっ?と思う。
 世界有数のブナの山だというから、
 もっと深い山奥だとイメージしてたのに、
 とっても海に近いのである。
  地図でよく見てみると、ほとんど海沿いの山
 なんである。
 標高も1232m程度。2千m近い山の多い東北
 においては、それほどの高峰ではない。しかも、
 海沿いの町に「白神山登山口」なんて案内板もある。
 いささか拍子抜けしてしまった。

  秋田県を抜けて、午後に山形県の庄内平野に入ると、
青森12  視野にもあざやかにそびえる山がある。
 鳥海山(ちょうかいざん)である。
 平野から屹立している。こちらは標高2236m。
 よし、上ろうということで、ブルーラインというのを走る。
 九州の九重高原みたい。車道は中腹の展望台まで
 で終わりだが、見晴らしは最高。
 深呼吸をして、酒田市へ下る。
  もう後は、山形自動車道で、とにかく東へ。
 奥羽山脈をトンネルで抜けて、太平洋側の仙台へ。
 ものすごい渋滞に巻き込まれながら、自宅に着いたのが、
 午後8時過ぎ。いやあ、二日間で600キロ走った。
 荷物を整理した後のビールがうまかったこと。

  その後、新聞を読んで初めて知ったのだが、
 夏の高校野球の地方予選で、驚くべき試合があって、
 スコアが「122×0」と、超一方的なゲームだったという。
  しかも、それが青森県大会であり、122点入れられて
 負けた高校が、なんと深浦高校だったというのだ。
 ぼくらがキャンプした町の高校だった。
 小さな漁港で、町に酒屋も数軒しかないところの高校。
 ぼくらがテント張っている頃、町のみんなは泣いてたんだろうなあ。
(1998年8月)

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