石の2 ある中国人が日本文化に魅了された理由

天安門3 「家について行っていいですか?」というテレビ番組がある。
最終電車の頃の駅前に行って、そこを歩いている人に声をかけ、
たまたま応じてくれた人の家についていって、部屋の様子を見なが
ら、その人の人生について根掘り葉掘り聞いていくという企画である。
普通の人に声をかけて、そんなにおもしろい話が聞けるのだろうか?
と思っていたのだが、ところがどっこい、実に多くのドラマチックな話
を聞けることに驚いてしまうのである。

もちろん、テレビでは多くの取材から選りすぐりのものを放送する
だけなのかもしれないが、中には涙なしでは観れないものも多く、
下手な小説を読むよりも、よっぽど感動するのである。
なにしろ実話なのだから。

その中から、涙を流したわけではないが、とてもよかった話を紹介
する。声をかけた20代前半の女性は、日本語をほとんど日本人の
ようにしゃべれる中国人だった。中目黒の1DKのマンションに住ん
天安門1 でいて、中国の武漢市の大学を卒業して、日本の東京芸大の
大学院の映像美術科に入学したが、あまりそっち向きではないと
悟った本人は写真モデルになった。映画にも出演したことがある。
今現在、それほどモデルの仕事が多いわけではない。

その彼女が日本に来た理由だが、元々日本のジャニーズのアイドル
グループが好きになり、そこから日本嗜好を広げて行ったという。
そして、特に興味を引かれたのが日本の1970年代の学生運動の話
だった。70年代、日本の大学生の反体制運動は、どんどん過激になり、
暴動そのものだった。当然ながら警察機動隊と対峙することになり、
徹底的に歯向かったが敗れてしまった。さらに、過激派内部の人間
同志の凄絶な内ゲバの殺し合いが発覚し、多くの若者は一気に
左翼離れをしてしまったのである。その挫折により、当時の若者には
ヤケクソな無力感が広がっていた。だから当時の日本の映画や小説
には、そういう気分が濃厚に反映されているのだ。
彼女はそれに強烈に魅了されたという。

だいたい若者というのは、世界中どこでも同じで、思い描いていた夢を
壊されることが多く、失敗や挫折を味わうのが普遍である。やがてそれ
を乗り越えて行くのが人生だが、若者というのは、挫折したしばらくの間、
その感情にウットリと浸りたい気分があり、実はそれが快感なのだ。
それを小説や映像に出来ればもっと快感になるのである。

その後、彼女は三島由紀夫や、太宰治の小説にも興味を引かれた。
そこまでいって初めて、ああ、そういうことかと気がついた。日本では、
失敗や挫折、ダメな自分をそのまま描いても良いのである。自分の弱さ
天安門2 をありのままにしゃべって、それでもこれが自分なんだと表現してもいい
んだと。泣いてもいいんだと。人間失格でもいいんだと。彼女はそういう
日本の文化に魅かれたという。

そこで思い出したことがある。落語家の大御所であり異端児でもあった
立川談志が常に言っていたことだが、落語というのは、ダメな人間を
肯定することなんだというのである。人は常に理想的な人間をめざし、
立派な人になろうとするが、どうしてもできない人間もいる。それはそれ
でしょうがないじゃないの、というのが落語なのだ。

中国にも「天安門事件」という、日本の学生運動のような民主化運動が
あった。多くの若い学生が立ち上がったのだが、それを軍隊でもって
抑えこんだのが鄧小平である。その時、反体制学生が何百人も殺さ
れた。しかし、その後の中国ではこの事件はなかったことにされていて、
パソコンで検索しても中国国内では一切の情報が出て来ない。だから
挫折感に浸ろうとしても、そういう文学も映画もない。中国共産党から
禁止されているからだ。

今年の香港では反中国のデモがすごいことになっている。しかしそれも
中国共産党に封印されることになるだろう。数年も経てば、全てが存在
しなかったことになるのだろう。共産中国では、青年が不条理に悩むことも、
挫折に悩むことも許されない。そういう青春は消えつつあるのだ。
(2021年7月)

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