石の2 バブルの頃


バブル1 昭和を語る時に、なんといっても外せないのが、バブルの頃だ。
戦後の焼け野原から復興した日本は、右肩上がりの経済成長を
遂げてきたが、その頂点が1980年代のバブルだった。
日本の企業は努力して、安くて良い品物を作っていたので、
日本の輸出産業は順調に伸び、黒字に次ぐ黒字で儲かって
そしてついに、アメリカに次ぐ、NO2の経済大国にまでなった。

ところが、アメリカは、日本の安くて良い商品に押されて、
国内製品が売れずに、貿易赤字になっていたのである。
アメリカ企業は、経営努力が足りないくせに、単純に大統領に
ブーブーと文句を言った結果、アメリカが日本に申し入れてきたのが、
為替操作によって円高ドル安にしようということだった。それまで、
1ドルが250円くらいだったのを150円くらいにしようというのである。
そうすれば、アメリカの製品が買い易くなり、売れるようになる。
欧米5ヵ国が集まって話し合った「プラザ合意」によって、それが
決まった。対ソのリーダーであるアメリカが言うことなので、誰も
文句が言えなかった。

それでアメリカはモノが売れ始め、景気が回復したのだが、一方の
日本は途端にモノが売れなくなって景気が悪くなった。そこで、日銀が
行ったのが、金利の引き下げである。金利が下がると、企業は銀行から
お金を借りやすくなるので、なんとか持ち直したのである。そのお金で
企業は設備投資をしたり、商品開発を進め、景気もまた上向きになり、
バブル2 株も上がり始めた。ただ、金利は低いままであった。
金利が低いというのは、銀行にお金を預けてもお金はたいして増えない。
その代わりに株を買って、もし本当に上がるのであれば、資産運用とし
ては、そちらの方がずっといい。ただし下がったら怖いというリスクがある。

ところがこの辺りから妙なことになってゆくのである。
まず、土地神話である。当時は、日本の国土は狭く少ないので、土地を
買っておけばどんどん値上がりするものだと、誰もが信じていた。だから、
企業は資産運用のために、土地を買ったのである。少し値上がりした
頃に転売すれば運用益が出る。不動産投資のためのお金は銀行が
低金利でどんどん貸してくれた。
あるいは株である。この頃、NTTが上場して、その株の値段が翌年には
一気に2倍になるということがあって、その儲け方が尋常ではなく、人々の
投資熱を煽り立てた。
企業は社債を発行したり、株式分割をすれば、容易に資金が集まる
ようになったので、銀行から借金しなくなり、すると銀行が儲からない
ので、どんどん簡単にお金を貸しますという営業をするようになった。

それがまた、資産運用熱に拍車をかけて、土地や株を買う人が増え、
その需要がまた土地や株の値段を冷静でない程にあげるようになった。
なにしろ、先月5千万で買った土地が、今月には1億円で買い手が
付くのである。小金持ちも熱狂したが、企業までもが、本来の仕事を
バブル4 そっちのけで資産運用に狂い出したのである。

金が儲かると、国内消費も増え、品物も売れるので、景気が良くなり、
会社員の給料やボーナスも増えて、高級外車が売れたり、宝石が
売れたりしたものだが、当時言われたのが、日本の不動産、つまり
土地代があまりに高騰したので、東京全土の土地代で、アメリカ全土
が買えるとまで言われたのだ。実際、日本の企業が、その当時は、
ニューヨークの魂と言われたロックフェラーセンターを買い取ったり、
ソニーがコロンビア映画を買収したり、ハワイのアラモアナ・ショッピング
センターがダイエーのものになったりしていたのだ。

しかし当時の東京の土地代はあまりに荒唐無稽の高さになっていた。
物には適正値段というものがある。当時の東京の土地やマンションの
値上がり価格というのは、泡のように膨らんで異常であった。
実体経済とは違う。このままでは誰も東京に家を買えなくなる。家や
土地がマネーゲームの対象になり、東京はゴーストタウンになりかねない。
そこで、1990年についに政府がある法令を出して、
引き締めにかかるのである。それが「総量規制」であった。
大蔵省が銀行に対して行政指導したもので、要するに不動産取引に
対しての融資を制限しなさいということだった。

それでどうなったかというと、不動産を買う人がパタッと減ったのである。
買う人が次に出て来ないと、値上がりが起こらない。値上がりを前提に
バブル3 借金していた人がパニックに陥った。売れないと借金が残るので
値段を下げる。それで一気に土地・不動産の暴落が起こったのである。
それが、バブルの崩壊だった。多くの小金持ちが自己破産になり、
企業が倒産し、多くの銀行が不良債権を抱えてやはり倒産した。
それから日本経済は落ち込み「失われた10年」と言われたが、
今や失われた20年と言われて継続している。

ぼくは当時の風俗が懐かしい。若い女子は濃い眉毛に、身体にピッタリの
ミニスーツ、肩パッドをして、男もイタリア風の幅広のだぶだぶのスーツ。
大企業はどこも羽振りが良くて、大卒はすぐに社員になれた。円高なので、
海外旅行ブームが起き、正月になると芸能人はこぞってハワイに行った。
ぼくらは当時、福岡にいて、アウトドアや山歩き、キャンプに凝っていたので、
東京の喧噪とは圏外だったが、テレビでは青春トレンディードラマが全盛で、
日本は幸福な気分に包まれていたのだ。それだけで、華やかな時代、
幸福な時代だった。
ところが、バブル経済がはじけると、あらゆることが変わった。
戦後の右肩上がりの日本の経済成長が、ここで終わってしまったのだ。
(2014年11月)

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