石の2 越中おわら風の盆と、西馬音内盆踊り


盆1 夏の盆踊りといえば、各町内の公園で、広場の中央にやぐらを立てて、
大太鼓をドンドンやりながら、スピーカーで東京音頭などを流し、その
周りを浴衣の皆さんが輪になって、陽気に踊るというのが普通だが、
日本の田舎には、実に不思議で幻想的な盆踊りがある。
「西馬音内(にしもない)盆踊り」と、「越中おわら風の盆」である。
どちらも、この10年くらいでテレビでの紹介により一気に有名になった。

西馬音内は秋田県、おわら風の盆は富山県の、どちらも人口2万人くらい
の片田舎の小さな集落である。どちらにも共通しているのは、三味線と
太鼓や、唄なども昔ながらの伝統を保っていることだ。さらに、どちらも
傘をかぶって、顔を隠すようにして踊ることである。踊りは優美であり、
熟練度を要するので、よそ者が気軽に参加するようなものではない。

ぼくら夫婦は、西馬音内の町に、祭りとは関係なく、たまたま立ち寄った
ことがある。小さな町で、春には彼方に白い鳥海山が実に美しい。
中心通りといっても人影はほとんどないが、祭り会館というのがあり、
そこでビデオを観ると、そこを中心にほんの300mくらいの町道が
舞台になることを知った。祭りの当日には、道の真ん中に、かがり火が
焚かれ、その周囲をゆっくりと不思議な踊りが行われるのである。
独特な足さばきと、優雅な腕と指先の曲線の踊り。三味線と太鼓と笛の
響き。そして、唄は秋田音頭である。秋田音頭というのは、軽快なラップ
に近く、しかも歌詞は滑稽に満ちている。思わず笑ってしまう。

盆2 踊りの最初は、子供達から始められ、娘達と続き、午後10時を過ぎると、
大人達の踊りになるが、その時刻の囃子唄になると、秋田音頭の歌詞に
ずいぶんと下ネタが混じるようになる。そのユーモアには感心するが、
この祭りも元々は、豊年満作を願う伝統行事なのである。
そして、西馬音内の盆踊りをちょっと幻想的にしているのが、笠のお姐さん
達に時々混じる、彦三被りである。目だけを出して、顔を黒い布でスッポリ
隠している異様なかぶりものであり、亡者踊りとも言われている。この地区の
領主だった小山田氏が戦国時代に滅ぼされたのを臣下が追悼して始めた
とも言われているが、なんとも神秘的である。

そして、北陸・富山県の「越中おわら風の盆」の方は、全国的にはこちらの
方が有名かもしれない。北陸というと、加賀百万石というロマンチックな印象
があり、金沢は実際には隣の石川県なのだが、こちらに観光に来る人は、
黒部ダムや、白川郷などもセットで訪れる人が多いようだ。そして、何よりも
強かったのが、1985年に直木賞作家の高橋治が「風の盆恋歌」という小説を
発表し、これがドラマになって大ヒットしたことだ。学生の頃、恋人同士だった
男女が別れて、それぞれに結婚したが、今でも忘れられず、年に一回の風の盆
盆3 の夜だけ合瀬を繰り返すという、俗に言えば大人の恋愛小説なのだが、その
神秘的な盆踊りが、こちらは歌詞に下ネタやユーモアもなく、、太鼓と笛に胡弓
の音色が絡み合って、なんともロマンチックな世界を描写しているので、女性が
キュンとなった。それを受けて、1989年には、石川さゆりが「風の盆恋歌」を歌い、
その後も次々に推理小説などでも取り上げられ、ロマンチックの権化となったの
である。今では三日間の祭りの間に、30万人もの観光客が訪れるという。

89歳になるミーハーの長崎の我が母も、「風の盆恋歌」の小説を読んで以来、
憧れていたが、もう衰えて遠くへは行けないと言っていたのに、次女がお金を
出すよと言ったら「行く!」と言う。町には旅館もほとんどなくて、泊まれないよと
言っておいたが、抽選で、町内にある旅館に泊まれることになったという。
もうこうなれば仕方がないので、いってらっしゃいと送るしかなかった。

(2015年8月)


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