石の2 フランス映画「冒険者たち」


冒険者1 ぼくが高校生時代に観た映画で、青春映画として、
忘れられないフランス映画の名作が「冒険者たち」である。
前ページで紹介した日活の「八月の濡れた砂」が
日本の夏の湿度の高い、汗がにじむような映画だとすると、
こちらは、ヨーロッパのからっとした、さわやかな青春だ。
そして、こちらは間違いない青春映画の名作である。
ただし、主人公3人のうち、2人は死んでしまう。
これが、ハッピーエンドを原則とするアメリカの映画とは
一線を画していて、ヨーロッパ映画らしい。
アメリカ映画とは肌合いが全く違うのだ。

主役の一人はハンサムの代名詞だった、アラン・ドロン
「太陽がいっぱい」で日本中の女性を虜にした男である。
甘いマスクと、母性本能に訴えかける雰囲気。
ところが、本国フランスでは、「リオの男」シリーズで知られる
一歩間違えば、ブ男になりかねない個性的な風貌の
ジャン・ポール・ベルモンドの方が、ずっとセクシーだとして
遥かに人気があるということを、後で知って驚いた。
フランスでは、必ずしも、ドロンのように端正な顔立ちが、
冒険者2 人気のバロメーターではないのである。
ヨーロッパって、大人だなあと思った。

事実、3人の主役のうち、もう一人の男性は、腹が出た中年男の
リノ・バンチュラであり、どうみても中年男に見えるのだが、
フランスでは、青春と、見かけや年齢は関係がないらしい。
実際、映画の中で、可憐な美女・レティシアが心を寄せるのは、
ドロンではなく、その中年っぽいバンチュラの方に対してである。

そして、主役3人の内、唯一の女性のレティシアを演ずる、
可憐な美女が、ジョアンナ・シムカスである。
ああ、この名前は一生、忘れられない。
欧米の白人女性には、彫刻のような美女がいるというが、
彼女がまさしく、その具現だと思った。
クルーザーの上で、太陽を浴びて動く、青いビキニ姿の彼女は
それ自体が太陽のように、眩しかった。
彼女は、男共がやった敵との銃撃戦で、流れ弾に当たって、
あっけなく死ぬ。え!いつ死んだの?というくらい、あっけない
簡単な描き方である。ここが、また、アメリカ映画との違いである。

冒険者

アメリカ映画の、わざとらしい演出に慣らされている観客に
とっては、むしろ、とても新鮮な驚きではなかろうか。
ぼくは、そういうヨーロッパ映画がとても好きである。
アメリカ映画が、やたらと、家族愛や人類愛や、正義などを、
これみよがしに、説教臭く描くのと違い、
ヨーロッパ映画は、生も死も、淡々と描く。
「セ・ラ・ビ」、それが人生だ、と薄く笑う。
日本の小津安二郎の映画が、フランスでは高い評価を得てきた
というのも、そういう同じ気分のせいではなかろうか。

日本の古典的な映画と、仏・伊・独などのヨーロッパ映画は
とても、雰囲気が良く似ている。
生死観が深く、アメリカのようなゲーム感覚ではない。
日本映画「楢山節考」は、カンヌでは賞を取っても、
アカデミー賞の対象には決してならなかったし、
ドイツ映画の「ベルリン・天使の詩」は、日本では評価を得たが、
やはり、アメリカでは賞を取らなかった。

ああ、それにしても、ジョアンナ・シムカスである。
ぼくの青春時代に、あれほど、永遠の美女として
胸に刻まれた女性はいない。西洋の美女としてですけどね。
カナダ出身で、この映画のしばらく後に、アメリカ映画で
冒険者 共演した男優と同棲して、二女を設け、数年後に結婚して、
映画界をさっさと引退してしまった。しかも、
その結婚相手が、なんと、シドニー・ポワチエだった。
アメリカ映画界で、初めてまともな名声を得た黒人男優
であり、しかも16歳も年上だった。

映画の中のレティシアは、清楚な美女でありながら、
前衛的な彫刻家という役周りだったけれど、
実際のジョアンナ・シムカスも、前衛的だったのだ。
今でも、ずっと良い夫婦でいるという。

この青春名作も、音楽が素晴らしかった。
メイン・メロディーを口笛でやっているんです。
とても哀愁があって、とてもヨーロッパ的。
素朴で、さわやか。この映画を思い出す時には、
すぐに、あのメロディーが浮かんでくる。

映画の中で、アラン・ドロンが死ぬ寸前に、
リノ・バンチュラは彼を腕に抱きながら、
「レティシアは、おまえと暮らしたいと言ってたぞ」と言う。
ドロンは、「嘘つけ」と微笑んで、こときれる。
いい映画だったなあ。


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