石の2 「夕日と拳銃」…伊達順之助

伊達1 1964年頃、夜9時からのテレビ放送で、モノクロだったが、
夕日と拳銃」という人気連続ドラマがあり、中学生の僕は
いつも母と一緒に楽しみに観ていた。舞台は大正時代、華族の
息子の主人公の熱血青年が、身分を捨てて中国大陸へ渡り、
馬賊となって満蒙独立へと身を捧げる、血沸き肉踊る
冒険青春ドラマであった。主人公は、伊達麟之介。
召使役であった小松方正が、主人公の若様を呼ぶ時の
「若とんしゃん(若殿様)」というのが妙に印象に残った。
原作は檀一男が新聞に連載していた小説だが、その主人公の
モデルとなったのが、実在した伊達順之助である。

この伊達順之助というのは、仙台藩を創始した伊達正宗の
直系の子孫であり、彼の父は明治時代時の仙台藩知事であり、
華族である男爵家の息子であった。
しかし、子供の頃からどうも乱暴者だったらしい。ある時、
やくざ者とのいさかいから相手を殺してしまい監獄に入るが、
伊達家直属の弁護士の働きにより釈放されると、その後、
中国大陸の満州へ渡り、大陸浪人となる。

当時の満州というのは、かなり複雑な事情を抱えた土地だった。
伊達2 ロシアと中国が互いに自国領土と宣言し、日清、日露戦争で
勝利した日本も領土を宣言していたが、いわば宙に浮いた
土地だったのである。そして、実際的には、大地主が武力を
持って群立していた。武力といっても、ヤクザもんを雇って
傭兵としていたのであって、馬賊と呼ばれた。

いわば、中国大陸の東北地区や満州には、ヤクザの集団が
割拠している状態であり、その大きいものを軍閥と言った。
その親分として有名なのが、袁世凱やら張作霖である。
彼らには愛国心やら思想やらは薄く、要するに地方派閥として、
金持ちになればそれでよかったのだ。だから、中国を統一しよう
とする蒋介石の国民党や、毛沢東の共産党、あるいは日本軍
などに対しては、その場の都合で、ついたり離れたりしていた。

その中に紛れ込んだ伊達順之助が情熱を注ぎ込んだのは、
中国東北地方の満州と蒙古という、漢民族とは違う北方民族の
住民の独立運動だった。実は彼は幼少の頃、親の仕事の都合で
その土地に住み、そこで地元の民族の中に多くの友人を持っていた。
いわばその友情のためであろうか、彼らのために、日中露どこにも
頼らない独立国を作るという理想に、彼は燃えたのである。
ただ、彼に確かな設計図や、指針があったのかどうか。
離合集散する馬賊の間をうろつきまわり、終わってしまった
という印象しかない。
ただ、彼に関連した人物というと、北一輝、大川周明、出口王仁三郎
などという大物が多く、大陸浪人として活躍した先輩の川島浪速の
満蒙独立運動にも参加している。その影響もあって、
後には中国名として、張宋援と名乗っている。

伊達3 1916年の張作霖爆殺計画、1919年に山県有朋暗殺計画
などに加わり過激な行動が目立つが、いずれも失敗している。
太平洋戦争が終結すると、中国において、中国共産党に捕われ、
反共産党の戦争犯罪人とみなされ銃殺されて人生を終えた。
波乱万丈の人生を送った人であるが、伊達正宗の直系子孫には
こういう熱血な人生を送った人物がいたのであり、彼を主人公にして
小説が書かれ、ぼくらがテレビドラマとして熱中していたのである。

似たような人生を送った人に、福岡出身の谷豊(たに・ゆたか)という
人もいる。マレーシア半島で幼少時代を過ごし、福岡で中学時代を
過ごしたが、マレーで理髪店を営んでいた父親の店が、日中戦争の
始まりと同時に、中国人に襲われ、妹が斬殺されたのである。
彼は中国人への復讐に燃えてマレー半島に渡り、昔の仲間を
組織して、白人と中国人の店を専門に襲う盗賊団を結成する。
それが「マレーの虎(ハリマオ)」として恐れられたという。
日本軍部は彼を諜報組織に取り込み利用し、国内では、
「正義の味方・ハリマオ」として宣伝したという。
ぼくが小学生時代に、石森章太郎の漫画「怪傑・ハリマオ」
伊達4 として読み、テレビドラマの人気シリーズになったのも、
まさに彼がモデルである。しかし、事実はただの任侠物に近い
話であったようだ。

伊達順之助にしろ、谷豊にしろ、それなりの理想はあったろうが、
国と国の狭間にあって、法律と秩序の圏外で暴れていただけに
過ぎず、それが彼らの限界だったようだ。
ただ、仁義に燃えたアウトローの青春だった。
(2009年)




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