石の2 昔の日本の道路はひどかった


道路1 日本の道路というと、今でこそ、どんな田舎に行っても、隅々まで
舗装されていて快適だが、ぼくが小学生の頃(1960年頃)は様子が
全く違っていた。全国的に未舗装の道の方が圧倒的に多かったのだ。

長崎市内では、チンチン電車が走る範囲というのは舗装されていたが、
ちょっと郊外に出るとすぐに未舗装のデコボコ道になった。
ぼくの思い出で印象的なのは、隣の諫早市の駅前ロータリーの風景だ。
雨上がりだったが、完全な泥道で、車のワダチのために道がボコボコに
なり、バスは走るのに右に左に傾き、乗客は椅子にしがみついていなけ
ればならず、スピードも出せなかった。

雨が降ってグチャグチャになった道路というのは、泥の海である。
今の人は雨が降っても、平気で普通靴で外に出かけるが、それは、
自分が歩く道の全部が舗装されているというのが前提になっている。
ところが当時は、出勤でも泥の道を歩く事が多く、
スーツ姿のサラリーマンでも長靴を履いて出なければならなかった。
ぬかるみがひどい場所では、長い板が渡してあることが多く、そこを
みんなが融通しながら、交互に渡るという風景が一般的だったのだ。
そして、当時の田舎町の道路沿いに建っている民家の外壁というのは、
車がはねる泥を浴び、それが乾いて裾が真っ白なのが普通だった。

だいたい、道路を舗装するのは何のためかというと、
車を走らせるためである。しかし、日本で国産自動車が量産される
ようになるのは、やっと1960年代であって、それまでは、道路を整備
道路2 すると言っても、道幅を広くして、砂利を撒いたりして平らにするのが
せいぜいである。それでも、雨や風によって、あちこちに水たまりが
できるので、どんな性能の良い車でも、高速で走るのは不可能だった。

そういう道路状況が大幅に改善されるきっかけになったのが、
1964年の東京オリンピックである。1950年代後半から日本では
高度経済成長が始まり、そういう戦後復興した日本を世界にアピール
するためのオリンピックの招致だった。そこで、どれどれと外国使節団が
下調べにやってきたのだが、彼らが口を揃えて指摘したのが、
「日本の道路というのは文明国としては、あまりに遅れている」だった。
はあ確かにと認めざるを得なかった。

だいたい、道路に関しては、大陸の欧米と、島国の日本とでは、
歴史的に、地理的条件のせいで、思想がまったく違うのである。
中近東、中国、欧米という大陸では、数頭の馬を並べて車を引く
馬車が疾走できるというのが、まっとうな道路なのである。
大陸には乾いた荒原があり、草原があり、とにかく広い。
ところが、雨の多い亜熱帯の日本は島国であり、ほとんどが山地
であり、川は滝のような急流であり、植物が繁茂していた。
だから、馬車が疾走できるような道路を作るという発想自体が
まったく生まれなかった。

道路3 4世紀に、中国の漢の使節団が邪馬台国を訪れているが
佐賀の松浦半島で上陸してから、邪馬台国までの道を
「植物が繁茂して前が見えないような道」と記述している。
ほとんど獣道である。実は、近代まで、日本の道路というのは、
それに毛が生えたようなものがほどんどだったのである。

鎌倉時代には、元が日本を占領するべく大船団でやってきて、
博多湾に上陸し、さんざん日本軍を蹴散らし、勢いづいたが、
日本軍が内陸の大宰府まで撤退すると、モンゴルの騎馬軍団は
それを追いかけることができなかった。なにしろ植物が繁茂していて
細い道しかなく、馬で駆けるような平野がない。平野のほとんどは、
湿地の田んぼであり、あとは山と川である。彼らの得意な騎馬戦法
を駆使することもできず、多分、途方に暮れたことだろう。
例え占領したとしても、しょうもない土地と思ったのではなかろうか。
あげくは、慣れない船上で思案している間に、台風が来て、
船団が壊滅、沈没するという、踏んだり蹴ったりの結果になった。

逆にモンゴル軍が、東ヨーロッパまで攻め入って占領できたのは、
そこまで地続きで、乾いた平原が続いていたせいである。
大陸では、道路というのは、岩を避けて通ればいいだけであり、
すぐに道筋が決まった。
ところが、同じような道路を日本列島で作ろうと思えば、
道路4 大土木工事が必要なのである。だから、日本では本当に最近まで
車が高速で走れるような道路は出来なかったのである。

ちなみに、明治41年(1908年)に、フランスから輸入した軍用トラックで
東京から青森まで走ると、どれくらいかかるかという実験が行われたこと
がある。実に半月以上かかったという。
度々、陸軍工兵隊が出動して道を切り開いたというが、それでも
それくらいかかったのである。ところが、同じ行程を鉄道で行くと、当時
既に開通していた東北本線では二日で済んだ。要するに、
当時の交通として、鉄道というのが、いかに便利だったかがわかる。
というか、戦前の日本では、どこへ行くにも、交通の手段としては、
鉄道が一番の主役だったのである。

オリンピックの招致にあたって、「道路が貧弱だ」と言われた日本は、
その後、ものすごいスピードで名神高速道路や、首都高速道路を
作り、そこを高速で走る車も作れるようになっていった。
それは本当に目を見張るような成長だった。
かくして、日本は戦前の日本がウソのように、うっぷんを晴らすかのように、
今でも毎年、舗装道路を拡張し続ける国になったのである。

(2010年)

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