石の2 フランス料理


フランス1 妻の誕生日祝いに、彼女の母がご馳走するというので、
仙台では有名な「勝山館」に、フランス料理を食べに行った。
フランス料理のフルコースなど、自分達で食べに行くことは
ほとんどないので、ありがたやとご馳走になった。
予約して行くと、控え室で待たされる間、食前酒などが出る。
どうも本格的なようだ。そして、うやうやしく席に案内される。
案内されたはいいが、ぼくは一人でさっさと椅子を引いて、
席についてしまった。レディファーストを忘れていた。
ま、日本ではそれほど、マナーはうるさくは言われない。
フランス料理といっても、もっと気軽に楽しんでもらおう
というのが最近の風潮である。

ただ、ぼくがフランス料理で一番苦手なのは、
フォークやナイフやスプーンがあらかじめゴチャゴチャと
並べられることだ。それを、外側から使うのか、内側から
使うのかをいつも忘れる。普通は妻に「どっちからだっけ?」
と聞くのだが、聞かずにやると、たいていは逆をやる。
それが恥ずかしいというよりは、悔しいのである。

そういう日本人が多いせいだろうか、日本では結婚式などを
別にして、巷では、順序もマナーもない、おおらかなイタリア
料理が「イタ飯」といって、大変好まれている。
フランス2 パスタやピザなど注文したら、どんどん出て来るし、
アラカルトの一皿料理でも、居酒屋風に好き勝手に注文できるし、
ワインも、フランス料理のように気取って銘柄を選ばずとも、安い
グラスワインを何杯でも飲めばよいという感じで気楽だ。

そして歴史を辿れば、フランス料理の先祖はイタリア料理なので
あり、昔は料理はどんどんテーブルに並べられて、みんなが好き勝手
に食べていたという。なにしろ、フランスといっても、大昔は
ローマ帝国の属国である。フランスが大国になり、貴族階級が出来る
に従って、イタリア料理がフランスでそれなりの発展を遂げる。

そして、フランス料理は、フランス王家の朝廷専属料理人の元で、
洗練されていったが、18世紀のフランス革命で王政が倒れると、
朝廷料理人達はみんな職を失う。しょうがないので、生活のために、
彼らは、町の中に自分でレストランを開くようになった。これが、
フランス料理を一般に広めることになった。
ところが、その話を伝え聞いたのが、王政の続いていたロシアである。
ロシア宮廷が、そういう不遇な料理人を高給で招いたのである。
ウハウハ言いながら、出かけた料理人も多かっただろう。

ところが、フランス人シェフがロシアに来て、一番困ったのが
そのとてつもない寒さである。いくら暖かい料理を作っても、
たちどころに冷えてしまう。暖かい料理も冷めれば、味が落ちる。
そこでシェフ達が考えたのが、食事を順々に出すというやり方だった。
食べ終わった頃を見計らって、次の料理を調理して出す。
これなら、出来立てを温かいままに味わうことが出来る。
考えてみれば、大変に合理的である。
ということで、後にフランスに帰った料理人が、その方式をそのまま、
レストランで採用した。というのが、フランス流フルコース料理の始ま
りである。
それに加えて、ロシアでは、時間を守らない人が多い。
7時と決めていても、8時にきたり、9時に来たり。
フランス3 世界中でも、時間ピッタリに揃うというのは、ドイツ人か、
日本人くらいだと言われている。
そこで、全員が揃うまでは、食前酒でも飲んで、
軽いおつまみで会話をしてもらおうというので、
アペリティフ(前菜)や、食前酒という習慣が生まれた。

ただ、ロシアでもコース料理を楽しんだのは、貴族だけであって、
民間では、ボルシチに代表されるような煮込み料理が多かった。
常に、ストーブの上でグツグツ煮込んでいて、
いつでも暖かく食べられるというのが、なによりのご馳走なのである。
カップにスープを入れて、パン生地で覆うという料理もある。
これも暖かさを逃さない工夫なのだろう。

日本の鍋物でも、西日本では、肉か魚を野菜と煮込んで
あっさりしたポン酢で食べることが多いが、寒い東日本では、
寄せ鍋のように、何でもかんでも一緒に煮込んで、さらに、
味噌や酒粕まで加えて、どろりとさせて食べることが多い。
全体がどんよりとして、西日本人には苦手な人が多いが、
これも、熱さを逃がさない東日本の工夫なのだろう。
(2014年12月)


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