石の2 フィデル・カストロと、チェ・ゲバラ


ゲバラ1 先月、キューバのカストロ議長が亡くなったというニュースが世界中に流れ、
年配は「ああ、ついに最後の巨星が墜ちた」という感想を持った。90歳。

20世紀前半、中南米のほとんどの後進国は、人口の3パーセントくらいの
大地主が富の7割を持っていて、ほとんどの民衆はその小作農であり、
貧困にあえいでいた。まともな教育も受けられず、病気になっても病院に
行けない人が多かった。カストロは、大地主の父を持って富裕層だったが、
歴史を学ぶうちに、その貧困層を救いたいという気持ちが押さえられずに、
アメリカの企業と結託して暴利を貪っていた当時の独裁政権を倒すために、
同志と共に、武力闘争を起こした人である。1954年の頃である。
最初は失敗して捕えられ投獄されるが、後にメキシコに亡命して、そこで
キューバの同志達と合流すると、すぐに彼がリーダーになる。それほど
カストロの信念は強固であり、指導力も卓越していた人物だった。

もう一人のゲバラは、アルゼンチン生まれで、やはり裕福な家庭に育ち、
医学生だったが、ある時、南米とメキシコまでバイクでの気ままな旅行に
出かけると、ボリビアやグァテマラで、貧しい人々が武装闘争で独裁政権に
抵抗している姿を知る。そして、グァテマラでは革命政権が大地主の土地を
没収して、民衆に与えるという善政を行ったのである。民衆は歓喜した。
ところが、そこに介入してきたのがアメリカ合衆国である。彼らは、腐敗した
前政権と取引をして儲けていたので、新しい政府を潰しにかかったのである。
結局、民衆のための政権はアメリカによって潰されたのである。
ゲバラ2 ゲバラはそういう事情を全て眺めていた。

そして、次に彼が行ったメキシコで出会ったのがカストロだったのだ。
カストロは情熱的な男だった。ラテン・アメリカの人々を貧困から救うためには、
アメリカの支配から抜けるしかないといい、そのためには、今の独裁政権を
武装闘争で破るしかないと言う。ゲバラはその意気に感じて、軍医として
参加するのである。それがキューバ革命の始まりだった。
カストロが30歳、ゲバラが28歳の時である。

彼らは同志82人で、プレジャーボートで、キューバの海岸に上陸したが、
それを察知していた政府軍の空陸からの攻撃に会い、なんと大半を殺され、
13名くらいがかろうじて生き残った。しかし、彼らはそれでもあきらめず、
それから山に籠って、ゲリラ活動を行い、元々それまでの政権に反感を持って
いた民衆の協力を得て、反政府勢力の兵士を増やしていく。その過程というの
は、ほとんど奇跡である。それまでの独裁政権の兵士の中にも、次々に、
カストロの軍に加わる者が増え、ついには、それが半数を超えた時点で、
それまでの独裁政権の大統領がついに国外に亡命し、キューバに革命政権
が生まれたのである。アメリカ企業と結託した金持ち層は追い払われたのだ。
カストロは国家主席となり、ゲバラはその閣僚となった。1958年のことである。

しかし、すぐにアメリカが彼らの政権を武力で潰しにかかった。
CIAはカストロの暗殺をなんと638回も企てたというし、軍隊による上陸作戦も
実施したが、すべてが失敗に終わった。アメリカはキューバとの貿易も停止
ゲバラ4 したので、しょうがなく共産主義のソビエトと同盟を結んで、アメリカに対抗
するしかなかった。それが世界を核戦争の恐怖に脅えさせる、キューバ危機
にまでなるのだが、ケネディ米大統領と、フルシチョフ・ソビエト書記長の間で
それが危うく回避された。1962年のことだ。世界はホッとした。

ぼくが高校3年生の頃の、学生運動華やかりし1969年に、アメリカで作られた
オマー・シャリフ主演の「ゲバラ!」という映画がヒットし、ぼくも観に行った。
アメリカのベトナム戦争への反対の声が大きくなり、アメリカでも大学生の
間で反体制運動が大きくなり、同じように日本でもそれに呼応するように、
新左翼の過激なデモや、武力闘争までも唱えられていた時代だった。
アメリカがその経済力と武力にものを言わせて、世界中を牛耳っていた時代
にあって、小国ながら敢然とアメリカに立ち向かっていたキューバという国は、
本当に珍しい存在だった。しかも、厳しい寒さのロシア大陸と違って、
キューバというのは、アメリカのフロリダの向こうにある、南国の島国である。
誰もが陽気で、共産主義とはおよそイメージがそぐわない。
実際カストロも、元々はソビエトのような共産主義なんかを導入するつもり
はなかったという。しかし、アメリカのカストロ政権潰しがあまりにひどかった
ので、ソビエト政権と結びつくしかなかった。
しかし、理想主義者のゲバラは、ソビエトにも大国主義の匂いを感じ取り、
カストロと決別し、ボリビアでの革命闘争に身を投じる。しかし、キューバの
ようにはうまくいかなかった。政府軍に捕えられ銃殺される。1967年。

ゲバラ3 しかし、もうその時には、ゲバラは世界中で英雄になっていた。
サルトルやジョン・レノンが彼を賛美し、「赤いキリスト」と呼ばれるように
なり、反体制の若者の間ではカリスマのようになっていた。今回、カストロが
死去して、改めて歴史を振り返ってみた時に驚くのは、キューバ革命という
のが、生き残った13名の戦士から始まったということだ。
日本の学生による反体制運動は、1972年の「あさま山荘事件」によって
潰えてしまったが、当時ぼくが不思議だったのは、30名くらいが山に籠って
武装訓練をやって、本当に革命が出来ると信じていたのだろうかということ
なのだが、ひょっとして彼らは、キューバ革命の13名という数字だけでもって、
妄信的な奇跡を信じていたのかもしれない。
しかし、圧倒的な富と貧者の格差があったキューバと違って、当時の日本は
高度成長期の真っ只中であり、誰もが中流階級になっていた。だから、誰も
日本赤軍に同調するような民衆はいなかったのである。
(2016年11月)


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