石の2 日本のグループサウンズ


グループサウンズ ぼくが小学生から中学にかけて、テレビの歌謡番組で大人気だったのは、
西郷輝彦、舟木一夫、橋幸夫などの歌謡御三家であり、
特に舟木一夫の「高校三年生」は国民歌になるほどの大ヒットであり、
当時の修学旅行では、必ずみんなで合唱するくらいのものであった。

ところが、東京オリンピックの1964年になると、突然、エレキブームと
いうのが起こった。エレキギターを使った、アメリカのザ・ベンチャーズが
「十番街の殺人」という曲をきっかけに大流行し、さらに次に
ザ・ビートルズが出現すると、その音楽の斬新さと、見た目の新しさに
本当に全世界がビックリしたのだから、日本の若者もビックリした。
欧米では次々と、ビートルズと似たようなバンドが続出したし、日本
でも、それを真似たバンドが次々に生まれた。しかし、そこは欧米と
日本の音楽の感性が違うのである。演歌や歌謡曲で育ってきた日本人が
いきなり、ビートルズのような楽曲を作ろうとしても、どだい無理だった。

そこでとにかく、格好から真似をした。まず長髪にして、エレキギターを
抱いて、ドラムを従えて、4人組で服装を統一してロックらしきものを
演奏して歌うのである。そういうグループが一気に湧いて出たのが
1960年代後半だった。スパイダース、タイガース、テンプターズ、
ジャガーズ、カーナビ―ツ、オックス等々。テレビを観ていて、おお!すごい
新しいことが起こっていると、ぼくらはワクワクした。ところが、さすがに、
その音楽のレベルが違い過ぎた。ビートルズや、彼らに影響されて、
たくさん出てきた欧米のバンドは、みんな自分達で曲を作っている、
シンガーソングライターであるのに対して、日本にはそういう発想はなく、
歌手と作曲家は別だった。
レコード会社は歌謡曲の作曲家先生達に作曲をお願いしたものだから、
ヒットした曲もロックというよりは、洋風の歌謡曲だった。

欧米の音楽にすぐに馴染んだ、ぼくら若者にとって、情けなかったのは、
当時のテレビ画面に出てきて歌う、彼らの音楽を聞いていると、
ドラムやベースの音がほとんど聞こえないことだった。
音楽というのは、それぞれの楽器や歌のハーモニーであるのに、
歌謡曲の伝統よろしく、歌の主旋律さえ、はっきり聞こえればいいと
いう音の処理をしているのである。これはバンドメンバーのせいでは
なくて、テレビ局スタッフの時代遅れの感覚のせいだった。

そして、当時の彼らの映像を観てみると、まあどのバンドの服装も
揃いもそろって、まるで宝塚の衣装である。レコード会社が客の対象
と見なしているのは、もっぱら、若い女の子だったから、そんなもんで
いいと思ったのだろう。だから乙女チックになってしまった。ほとんど
少女漫画の世界である。だいたい曲名を並べてみればわかる。
「亜麻色の髪の乙女」「長い髪の少女」「花の首飾り」「ガールフレンド」
だいたい恋愛の対象が処女である少女なのである。

グループサウンズ2 オックスの「ガールフレンド」の歌詞はこういうものである。
「ぼくのかわいい友達はマイガール、マイガール。白いテラスに囲まれた
夢のお城に住んでいる」笑ってしまうが、女子が熱中したのだ。
また、ぼくの中学生の妹はタイガースの大ファンで、ぼくが高校生の頃、
たまたま彼女に付き合ってタイガースの映画を観に行ったことがあるが、
加橋かつみが「花の首飾り」を歌うシーンでは、そもそも
歌詞自体が「花咲く娘達は、花咲く野辺で、ひな菊の花の首飾り、
やさしく編んでいた。おお、愛のしるし、花の首飾り」という、
ものすごいメルヘンチックなものなので、画面では彼が歌う後ろで、
小さな女の子達がバレリーナ姿で踊っているのである。
ぼくは思わずのけぞってしまった。

さらに、グループサウンズの曲の歌詞で特徴的だったのは、愛する
女性の名前が「いとしのジザベル」「僕のマリー」「愛するアニタ」などの
ように、やたら、西洋人女性の名前なのである。要するにまだ、架空の
恋のお話を歌っていたわけである。彼らも20代後半になると、ずいぶん
アホらしいと思ったに違いない。
後に、フォーク界の若手で、長淵剛が「順子」という歌をヒットさせた時、
おお!日本人の女の名前だと、ものすごく新鮮に感じたもんだ。

その後、学生運動が起こり、それが挫折して、若者の間にニヒリズムが
蔓延すると、ずっと大人っぽいフォークソングのブームが起こってくる。
その代表である吉田拓郎が、グループサウンズというものに関して、
「あいつら、童貞の歌ばっかりだろうが」と馬鹿にしていたもんだ。
なにしろ彼は「旅の宿」で堂々と、恋人と温泉宿に泊まって、風呂に入り、
酒を飲み過ぎて、もう君を抱く気にもなれないと歌ったのだ。
一辺に目が覚めた気分だった。

今思えば、グループサウンズというのは、欧米のロックミュージックに
影響されて、物真似から始まって、その音楽レベルに近づこうと必死
だったが、まだまだ音楽のレベルでは、月とスッポンだった。
本物のビートルズが来日して、武道館でコンサートを行った時には、
前座にそういうグループサウンズを出すのは恥ずかしかったので、
結局、前座を務めたのは、コミックバンドのザ・ドリフターズであり、
適当なお笑いでごまかすしかなかった。

グループサウンズ3 という具合に、実力的には情けなかったグループサウンズだが、
当時の中高校生の女子は熱狂した。そして、当時のアイドルだった
タイガースの沢田研二はソロになっても歌手の道を歩み、それなりに
大人の歌を歌うようになったし、テンプターズの萩原健一は俳優に
なり、さらにタイガースのベーシストだった岸部修は、岸辺一徳という
俳優になり、今や、多くの映画で名脇役として活躍している。
グループサウンズのみなさんは、いくら磨いても、海外で通用する
バンドにはならなかったし、その後ニューミュージックやフォークの
シンガーソングライターが続々現れると、そっちの方が音楽レベルは
ずっと高かったので、あっけなく消えてしまった。

ただ、ぼくは、グループサウンズ時代の、オックスの「ガールフレンド」が
今でも大好きである。YouTubeで繰り返し聴いているし、カラオケ
でもよく歌う。いいなあと思う。グループサウンズ時代のあほらしい歌だ
なあと苦笑いしつつも、とても好きな曲なのだ。
(2013年)


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