石の2 白鳥は神だった…宮城県・白石市


白鳥1 仙台市から国道4号を南に走ると、白石川沿いに、
大河原市、そして白石市という、小さな城下町がある。
そこに、毎冬、シベリアから白鳥がたくさん渡ってくる。
九州に白鳥はいないので、見てみたいもんだと、
二人で見に行った。

白石川河畔に歩くと、さっそく5羽の白鳥がいた。
きれいに一列になって泳いでいる。見とれていたら、
一斉に向きを変えて逆の方向に泳ぎ出した。
互いにどういう合図をするのか知らないが、なるほど、
バレエの「白鳥の湖」の動きにそっくりである。

白鳥への餌やり場があって、玄米をエサとして売っている。
白鳥2 500グラム100円である。安い。
さっそく買って投げてやると、白鳥もやってくるが、
他の水鳥、ユリカモメ、ホシハジロ、キンクロハジロなどの
数の方が圧倒的に多い。すばやく群れてギャーギャーと
エサの取り合いをする。白鳥はその中で、大柄なので、
どちらかというと、もさっとしている。
他の鳥を威嚇したりもするが、そのうちに立ち上がって、
こちらの手のエサを求めてきた。浅瀬で立ち上がって、
足が見えると、白鳥というよりは、アヒルに見える。
少し、ロマンが消えた。

この白鳥は、江戸時代までは人々はけっこう食べていた。
ツルも食べていた。当時は数が多かったので、食べても
なんら不思議ではない。鴨は今でも食べられている。
ところが、この白石地方だけでは、白鳥食はタブーだった。
独特の「白鳥信仰」があったのだ。

冬や春に白石市の町中を歩くと、蔵王の山々が
白鳥3 真正面に白く大きく見えるので、その美しさに驚くが、
その1758mの刈田岳(かっただけ)の山頂にある
刈田峯神社の祭神が、実は、白鳥なのである。
白鳥大明神とも言う。
下宮の大きな社殿は、蔵王から下ってきた白石市の
近くにあり、土地名も「宮」という。
また、その途中から少しずれるが、やはり宮城蔵王を
頂く村田町にも、「白鳥神社」がある。

つまり、白鳥は神様だったわけで、土地の人は、
地上に落ちたその羽根に触れることすら、怖れたという。
白石の人間が、他の土地で雉料理をごちそうになった後、
冗談で「今のは、白鳥だ」と言われると、顔を真っ青にさせて、
手足をけいれんさせて、吐いてしまったという。

伊達政宗は、孫の三代目藩主に向かって、白石に出向いた
折は、くれぐれも白鳥を撃つのだけはつつしむようにと、
手紙を書いたそうだ。(伊達家は元々、福島県が出自)
ところが、その後、明治維新の戊辰戦争で負けた東北に、
官軍が進駐してきた時、官軍の兵士が白鳥を見かけて、
物珍しさに鉄砲を撃ったのだが、それを聞きつけて、
土地の柴田藩の侍が憤って集まり、官軍の舟に向かって、
鉄砲を放ち、それが舟べりをかすったということが、
白鳥4 大問題となり、結局、柴田藩主・柴田意広は切腹し、
主君を失った柴田藩士は、幼君と共に、北海道の伊達市に
移り住んだという。地元では有名な白鳥事件である。

明治14年にも、一騒動があった。よそ者の二人の猟師が、
白鳥を撃ち、それを見た住民が激昴し、二人を追いかけて、
白石川の橋の上から水中に投げ落とした。
それが罪に問われて、数人が服役したという。

もちろん、今はそれほどの熱い信仰はないのだろうが、
刈田峰神社と、白鳥神社のお祭りは、今でも盛んである。
大河原在住の人に言わせれば、白鳥や雁などの
渡り鳥の本当に迫力ある美しい光景を見たいならば、
なんといっても早朝だという。朝日の光まばゆい時間に、
かれらは餌場へと一斉に大空へ飛び立つのだという。
「通勤で白石川にかかる橋を、車で渡っていると、
白鳥が橋すれすれで飛び上がってゆくのに感動する。
翼が大きいんだよ!」と。
しかし、真冬の早朝に仙台市内から、
郊外へ車を走らせるのは凍結道路が怖い。
それに朝は眠たいし、ぼくらは行ったことはない。


石の3 目次に戻る