石の2 1994年のハワイ旅行

ハワイ1 夫婦でハワイに行ったのは、23年も前のことである。それから何か
変わったかなと思ったが、メチャクチャ変わった中国と違って、それ
ほど変わっていないようである。ぼくらが行ったのは1994年12月
だった。その思い出。

ホノルル空港に降りると、空気がモワッと暖かい。やはり常夏だ。
5日間は自由行動だったが、一応ツアーだったので、行きと帰りだけは
集団で動いた。朝早く着いたので、ホテルにチェックインできる時間まで、
バスであちこちを案内してくれる。強風で有名なパンチボウルの丘に
立った時には、ハワイというのは島国といっても、壮大な自然があるの
だと初めて知った。さらに、この場所は、昔はハワイでは多くの部族が
対立して争っていたのだが、それをカメハメハ大王が統一するための
最後の戦いを行った場所なのである。

その後、チェックインしたホテルは、ワイキキビーチに近いホテルだった。
すぐにビーチに散歩に出かけた。なるほどきれいな浜で、ゴミ一つ落ちて
いない。自然な浜辺なら、いろんな漂流ゴミが打ち上げられるはずなのだ
が、そういうものが一切ない。管理されているビーチなのだ。なにしろ、
ワイキキビーチというのは、もともと黒い砂浜だったのが、観光地にする
ために、他の島から白い砂を運んで来ているのである。今も足している。
さらに、日本と違ってビーチで酒を飲んではいけない。だいたいアメリカ
というのは、酒を飲んで酔っ払う人を軽蔑する国である。

ハワイ2 夕食はどのレストランでもお薦めの、ロブスターと牛肉のステーキセットを
食べたが、とにかくボリュームが日本の標準の2倍はある。ぼくらは
当時30歳代だったが、とても全部は食べられなかった。そして、ハワイは
アメリカなので、飲食する場合、いちいちくチップを払わなければならない。
それが実にめんどうだった。日本ならば、サービスという場合、本当の
おもてなしであり、心からのものなのに、あちらではサービスに、いちいち
金銭を要求するのである。未来社会では、これは消失するとぼくは予言する。

翌日にはすぐに、シュノーケリングのメッカとして人気のあるハナウマ湾に
出かけた。ここは、浅瀬のサンゴの周りに、熱帯魚がたくさんいて、観光客が
多かった。ホテル前からバスがあるというので、待っていたが、時間になっても
来ない。電話してなぜ来ないのかと聞くと、「それは残念だったね。次のバスを
待ってね」とあっさりしている。しょうがなく次のバスを待って乗って座れたのだ
が、日本のようにいちいち次はどこだという案内がない。適当に見計らって、
降りるという合図をするしかない。幸い、ハナウマ湾は名所なので、
「次はハナウマ湾近くだよ」という案内があった。ぼくらはあわててボタンを
押そうと思ったが、それが日本のバスのように電気式ではなくて、頭上に
張られているロープを引っ張るのである。とても原始的であるが、現在の
ハワイのバスも同じである。これは、これでいいと思う。

そのバス停で降りたのは、ぼくら二人だけだったが、そこからハナウマ湾の入口
ハワイ3 までは、少々坂道を登らなければならなかった。そこで歩き始めて気付いたのは、
炎天下なのに、汗が出ないということだった。日本で、こんな坂道を登っていると
汗だらけになるはずである。これには驚いた。暑いのにカラッとしている。実は、
これが海外の普通であり、日本の湿気というのが異常なのである。だから、
日本の家屋は古代から、湿気対策として、風が通ることを第一に造られている。
そのため、冬にはとても寒いが、そっちはガマンするしかなかった。

そして、ハワイといえば、海に沈む夕焼けである。ワイキキビーチに並んでいる
高層のホテル群がどれも、その照り返りで黄金色に染まる。その美しさを見て
以後、日本でも、建物が夕焼けに染まると「うわあハワイのようだ」と言うクセが
ついてしまった。その時間を見計らって、ワイキキビーチを散歩すると、沖に
向かって突き出した小さな堤防があって、そこに座っていると、地元の少年達が、
観光客を意識して、飛び込んだり、泳ぎながらイルカの声を真似したりする。
そして、夕陽が水平線に沈む時には、オオーっと声をあげて拍手したりする。
ハワイは毎日こういうのが当たり前だろうに、やはり地元民でも感激するんだ
と、うれしくなった。日本海の海岸キャンプ場と同じだった。

そのワイキキビーチを翌日の昼にゆっくり歩いたのだが、ある場所にさしかかると、
どういうわけか、男性が二人で砂浜に寝ころんでいることが多く、しかもその水着が
鋭角なのである。後で、その一角がゲイ・ビーチだと知った。そういえば、ハワイの
土産物屋で買い物をしていると、どこのビルに入ってもヤシ油の匂いがするのが
特徴だが、その他に気付いたのが、トイレが少なくて、あっても小さいということだ。
白人は日本人より膀胱が大きいらしくて、ヨーロッパに旅行に行った人の体験でも
トイレは少ないという。そして、ハワイでは油断していると、トイレで異性、同性に
かかわらず襲われることもあるから用心しろと書いてある本もあった。

ハワイ4 ぼくらは毎日もっぱら、ワイキキ・ビーチでのんびり過ごし、ピンクハウスと
呼ばれる有名なホテルのテラスで、ここが発祥のカクテルであるマイタイを
飲んだり、夕暮れにはフラダンスを見て過ごした。ただ、ハワイのフラダンス
というのは、ゆっくりしたメロディーで、長いドレスを着た女性がゆっくりと踊る
ものであり、いささか退屈である。太鼓に合わせて、腰をくねらせて踊るのは、
タヒチの踊りであり、フラダンスではなかったのだ。
ハワイには、ベランダに飛んで来るハトもいる。こんな太平洋に独立した
諸島なのにいるのである。ただ、それは日本のハトよりも、3分の2くらいの
大きさである。どうして、そうなのかはわからない。

そして、ぼくらがツアーで行ったのは12月だったので、常夏の島でも、
クリスマスの飾りをやっていた。そして夜になると、イルミネーションである。
夜の「クリスマス・ライト・ツアー」というトロリーバスで町を巡るツアーが
あったので、ぼくらはそれに申し込んだ。
仙台では、ケヤキ並木の枝に豆電球を巡らした「光のページェント」がきれい
なのだが、ハワイでは並木の枝ではなくて、胴体に白いライトの束を巻き付け
ていた。樹木へのダメージを考えてそうしているという。なるほどと感心した。
ところが、バスが住宅街に入ると、なんとこちらは、あちこちの個人宅が赤青黄
ハワイ5 色のイルミネーションであり、ものすごく派手なのである。何これ!パチンコ屋?
と思うほどだった。ところが今や、その風潮が日本にも及んでしまったのか、
日本中、あちこちの住宅街で、若い夫婦だけでなく、団塊世代の老夫婦が
孫のためにと、やたら凝り始めているとニュースで紹介される。

そういう日本のクリスマスは、キリスト教とは無縁のオチャラカ騒ぎだが、
ハワイで印象的だったのは、ぼくらが載ったトロリーバスの運転手の黒人が、
信号で止まった時、チンチンと鳴らして、隣に並んだ乗用車の白人夫婦に
「メリークリスマス!」と片手を上げて叫ぶ。すると、向うも振り返って笑顔で
メリークリスマスと片手を上げて返す。まるで映画の1シーンのようである。
ああ、キリスト教の国なんだなあと改めて思ったのだった。
(2017年2月)


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