石の2 稲富という名字


稲富2 30年くらい前、東京のデパートでコーヒー屋さんに勤めていた時、
客から、ぼくの稲富というネームプレートを見て、「稲富というのは
北九州に多い名前ですね」と言われたことがある。そうなのかと
思ったが忙しくて、それ以上の会話は出来なかった。
また同じ頃、店に、日本全国の名字を本にしているという出版社の
初老の営業マンが来て、「稲富」も一冊の本になっているので、買い
ませんかと言われたが5千円と高かったので遠慮したことがある。
しかし、今にして思えば、買っとけばよかったかなと思う。というのは、
後になって稲富の発祥やルーツに段々、興味がわいてきたのだ。

当時はパソコンなどもなかったので、図書館で調べるしかなかったが、
稲富の名字に関する情報はほとんどなかったし、現在、ネット上で
検索してみても、現代人の稲富さんのバラバラの情報はあるが、
発祥とか系統に関する情報はとても少ない。

ただ、稲富というと、稲富流鉄砲術というのが有名である。
戦国時代、京都丹後の一色氏の家臣であった稲富祐直(すけなお)
という者がおり、一色氏が滅んだ後、細川忠興に仕えて稲富一夢
と号した人物が創始した鉄砲術である。この人に関しては、
松本清張が「火の縄」という小説で主人公として取り上げ、
司馬遼太郎も短編で扱っているが、どうも評価がよくない。

なにしろ、関ヶ原の戦いの時、大阪の細川屋敷に残っていた主君の
忠興の妻である細川ガラシャ夫人を警護することを命じられていたのに、
石田三成の軍勢に囲まれたガラシャ夫人は自決を決意する。
ただ、キリスト者として自殺はできないので、もう一人の警護役の
稲富1 小笠原秀清に自分を槍で突くように命じて、結果として自害してしまう
のである。小笠原は部下として、その場で殉死したが、その場にいな
かった稲富は殉ぜず、なぜか逃亡してしまうのである。

怒った細川忠興は彼を抹殺しようとするが、稲富は浪人となって諸国
を逃げ回った。その彼を救ったのが徳川家の重臣だった井伊直政で
あり、鉄砲術顧問として迎え入れた。その後、家康にも直接仕え、
大阪夏の陣では、稲富を中心に育った大砲術の一隊が大活躍をしている。
ところが小説を読むと、どちらも、鉄砲の単なる技術者として
しか評価されなかった人物として描かれている。どうも、細川家を
取り囲んだ三成の軍勢の中に、彼の鉄砲の弟子が数多く居て、
その技術を惜しみ「先生、逃げて下さい!」と薦められたらしい。
それに心を動かされて逃げたのだが、その結果は裏切り者という
形で後の人に語られることになった。

その後、全国統一をした徳川幕府は、銃器火薬に関する工夫や発明
を一切禁じてしまったので、稲富流鉄砲術の存在基盤が無くなり、
継承者は影を薄め、愛知県における花火の業者になるしかなかった。
ただ、山形県米沢市の戦国祭りでは、武者パレードで堂々と稲富の
旗を立てた稲富流鉄砲隊が継承されており、駅前広場で
ものすごい轟音を立てる試射にびっくりさせられて、うれしかった。

ただ、もう少し検索を追ってみると、稲富には二系統のあることが
わかった。一つは伊勢国・度会郡・藤波邑発祥・荒木田系統のもの。
こちらが多分、愛知県の稲富一夢に繋がるのだろうか。
そして、もう一つは、桓武平氏・藤原南家の相良氏の流れだという。
相良(さがら)氏は元々、今の静岡の相模地方にいたらしいが、
源頼朝が伊豆で挙兵した時に賛同しなかったために、鎌倉幕府成立
後は、九州は肥後・熊本の人吉地方に土地替えをさせられ、その
相良氏の親戚から派生した稲富氏が北九州の稲富一族になったの
だという。元寇の防人の中にも、稲富の名前がある。

我が稲富の家系は後者だと思われるが、父によると先祖は、
佐賀の龍造寺氏に仕えていた足軽だったという。龍造氏というのは、
稲富3 戦国時代の九州において、島津、大友と伍して、力を持っていたが、
勇将・龍造寺隆信が亡くなると衰え、家臣であった鍋島氏によって、
頭領の地位を取って替わられ、以降、肥前・佐賀は鍋島藩となる。
地位を譲った龍造寺氏は、長崎県諫早という田舎に移り住み、名も
諫早氏と変えて細々と幕末まで鍋島氏の家来になって過ごした。
わが父の系統はその龍造寺氏について、諫早に移り住み、明治時代
になると旅館業をやって、それなりに金持ちになったというが、それを
祖父の父が遊び好きで使ってしまい、見事に身代を潰したという。
ああ、こりゃりゃだ。

稲富という家系探しにおいては、その後、スウェーデンのオスロ大学
で教授になっている人がいるという以外はたいした話は聞かなかった
が、近頃、福岡で民主党議員の若手で、稲富修三という人が注目さ
れているという。また、関西のアイドルタレントで、稲富菜緒というのが
現れているらしい。稲富という名前における、多くの人には全く興味の
ないようなプライベートな話でした。
ぼくは人と親しくなると、その人の名前と共に、その出身と先祖に
とても興味を持つのだが、意外にその人自身が全く興味がないことが
多くてビックリしてしまう。とても不思議である。おもしろいのに…。
(2010年夏)

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