石の2 猪瀬直樹さんのこと


いのせ2 猪瀬直樹さんというと、日本の社会構造に関して著作が多く、
テレビのニュースショーでも、評論家として活躍している。
最近では、道路公団の構造改革で手腕を振るい、
この人の指摘がなければ、道路公団の不正は
野放しになっていただろうとさえ思う。
日本にとって、貴重な人材である。

その猪瀬さんをテレビで観る度に、ぼくの記憶の中の
ある人に似ているなあと、かすかに思っていた。
それは、学生時代の建築現場での元締めである。

ある日、ふと思い立って調べみた。そういう時、
猪瀬3 インターネットの検索は便利である。
すると、やはり、あの人は猪瀬直樹さんだったのだ。
驚くのなんの。

当時、ぼくは大学の授業にもほとんど行かず、
日雇いの建築現場のアルバイトで暮らしていたのだが、
ある日、友人から、今度は少し長い日数で良い現場がある、
と誘われたのが、東京郊外の高島平に建築中の高層アパート群での、
コンクリート屑の片付けの仕事だった。
すぐに働き始めたのだが、給料は一週間まとめて払われる。

その、もらう先が、中野のアパートの一室だった。
友人と一緒に部屋に入ると、元締めらしい人がニコニコして
部屋の中心にいて、アルバイトの若い連中に囲まれていた。
今、考えると、その元締めが猪瀬直樹さんだったのだ。
当時は長髪で、横にいた奥さんも、浅川マキに似た感じの人だった。
本棚には、難しい題名の本がずらーっと並んでいる。
社会、哲学、政治関係の本がズラリである。

いのせ4 そこに集まる学生アルバイトも、クセ者ぞろいだった。
だいたい、肉体労働をやる学生アルバイトというのは、
大なり小なり、体制からのドロップアウトばかりであり、
特に当時は、学生運動の時代だから、
つまりは、ほとんどが新左翼系の学生だった。
その中には、東大安田講堂闘争で逮捕され、
現在、公判中という男性もいた。
仕事が休みの日曜日には、その部屋で、
吉本隆明の「共同幻想論」の読書会などをするという。
ひぇー!と驚いた。
そういう一種のサロンになっていたのだ。

「共同幻想論」は、当時の左翼学生の必読の本であり、
ぼくも持っていたが、10数ページ読んで辞めてしまった。
難解過ぎて、読み進める気も起こらなかったからだ。
ぼくは読書会などに出席することもなく、やがて、
高島平の建設現場が終ると、そこのアルバイトも去った。

猪瀬さんのエッセイを読むと、この時期は、
文筆家として生活していけるかどうか、迷っていたらしい。
この人は、長野県の出身で、大学生時代は、
信州大学の全共闘議長もやっていた。
で、早くから「オレは体制の組織の駒としては生きていけない」と悟り、
独立して意見を言う存在を目指した。
猪瀬5 この時期、似たような人間が履いて捨てる程いたが、
彼はその中を生き抜いて残ってきた。
まずは、論文を自費出版し、それを各所に送って認められ、
徐々に、マスコミから執筆の依頼が増え、本を出せるようになり、
テレビにも出るようになり、著名人になった。

しかし、あの頃は、一緒にコンクリート片を黙々と袋に詰めて、
建築現場で汗を流して働いていた。
そして、休憩時間には、年下の仲間に、あの独特の静かな
笑顔で、「どうだい?」と語りかけていた。
彼はその後、大学院に進んでから、執筆の道に入ったのだ。
(2007年)


(この年、猪瀬さんは、石原慎太郎・東京都知事から請われて、副知事になった)
そして、その後、2010年2月、猪瀬さんはブログを始めたらしいのだが、
その初回の末尾に、どこかで見つけたらしく、このホームページの、この文章を紹介してくれ、
その直後に、猪瀬さん御本人から、ぼくあてに直接メールが届いた。
懐かしいねということだった。いやあ、驚いたのなんの。

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