石の2 石巻…石森章太郎・まんが館


石巻1 仙台から北に1時間半ほど走ったところにある、石巻市は、
宮城県で、塩釜、気仙沼と並ぶ、有名漁港である。
人口17万人のその町が今、町起こしの核としているのが、
この地方出身の漫画家、石森章太郎のマンガである。

石森章太郎といえば、巨匠・手塚治虫を師と仰ぐ、
ほぼ同時代の一連の漫画家たちの筆頭格である。
ぼくらの世代から言わせれば、代表作は、
「怪傑ハリマオ」と「サイボーグ009」だが、
少し時代を下った世代では、「仮面ライダー」だろう。

当時の漫画家の中では、大変に革新的な人で、
ギャグマンガを始め、いろんなジャンルをやったが、
次第にSF的なファンタジーで、独創的な世界を開いた。
特に、COMに連載していた「ジュン」という作品では、
全くセリフがなく、大胆な画面構成で、物語を進めた。
マンガというのは、普通、マンガとセリフがあって
おもしろい、と思うものである。
ところが、宇宙空間に星座だけの1ページすらある。
度肝を抜かれたものだ。

これに猛反発したのが、石森が、師と仰ぐ手塚治虫である。
「あれはマンガではない!」というのである。
しかし、後に手塚自身が語ったところによると、実は
「彼の才能に嫉妬した」というのである。
石巻3 マンガの神様・手塚治虫が見せた、芸術家としての
無垢な一面である。石森もびっくりしたが、
手塚は後に、石森に直に手紙を書いて、スマんと謝っている。

石森章太郎には、秋田書店から出した有名な
「マンガ家入門」というハードカバーの本もある。
あの頃の、マンガ少年にとっては、聖書みたいな
本だった。ぼくも持っていた。

その石巻に初めて行ったのは、ツツジの頃だった。
日和山(ひよりやま)公園というのが、ツツジの名所である。
日和山という名前は、日本各地にあるが、要するに、
船が出入りするのに、海の具合を見るための丘である。
市内に入って、そこを目指したのだが、道に迷って、
わからなくなり、途方にくれてしまった。

そこで、港にいたタクシーの運転手さんに道を尋ねた。
あそこを右に行って、その先から左でと教えてくれて、
ふむふむと聞いて、ありがとうございますと車に戻ったが、
その運転手さん、どうも心配に思ったらしく、
昼間の休憩中だったにもかかわらず、ブブーと鳴らし、
「オレの後について来て」と叫んで、タクシーを発車、
ぼくらの車を公園まで誘導してくれたのである。
石巻2 タダでタクシーを使った形かもしれない。もう、感謝感謝。

その後、徒歩で、石巻を市内散歩。
駅からのメインストリートである、商店街を歩くと、
日曜日なのに、シャッターが降りている店が多い。
いわゆる田舎町のシャッター街という感じで、少し寂しい。
だから、石森マンガで町興しをしたいということで、
駅から商店街の通りには、石森マンガの人間大ほどの
キャラクター人形が間を置いて、設置されている。
石森マンガを知っている人ならば、ほのぼのとするはずだ。

そして、少しオシャレになった舗道を抜けると、
河口の中洲に、「石ノ森萬画館」の建物が見える。
銀色のUFOを思わせる、楕円形の建物だ。
マンガ作品を核にして、子供が楽しめるイベントを
年中、企画している、市の施設だ。
まだ、大勢の人を呼び込める施設とは思えないが、
石巻よ、がんばってね!と心からエールを送った。
あの親切なタクシーの運転手さんが住む町だから…。

その後、石巻で、仙台のジャズフェスティバルの
ミニ版をやっているというので、再び、8月の最後に
行ってみた。とても気持ちのいい快晴だった。
人出は少なかったが、がんばってた。
その時に、改めて石巻市の観光案内を見たが、
戦前の白樺派の代表的な小説家で、
石巻4 「小説の神様」と言われる、志賀直哉の生家がある。
へえ!意外である。どうもイメージが結びつかない。
6歳で、東京に移り住んで学習院・初等科に入っているので、
石巻生まれというのは、あまり知られていない。

(石森章太郎は後に、石ノ森章太郎と改名したが、
ぼくにとっては、あくまで、石森章太郎である)

(石森章太郎の出身地は、正確に言うと、石巻ではなくて、
石巻より少し内陸の、登米〔とめ〕市・中田町・石の森である。)
(2006年8月)

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