いちご白書をもう一度を、もう一度
石の3 「いちご白書をもう一度」をもう一度


「いちご白書をもう一度」というのは、ユーミンこと
松任谷由美が、まだ荒井由美だったころに作詞・作曲し、
ばんば・ひろふみが歌って大ヒットした曲である。

「いちご白書」というのは、アメリカの映画。
1970年前後、アメリカが介入していた
べトナム戦争に反対する学生運動を、
明るいタッチで描いた、青春恋愛映画だった。

ラストシーン、反戦学生達が集まった講堂を、
警官隊が取り囲み、学生達は床に座り込んで、
床を叩き鳴らしながら、ジョン・レノンの
「ギブ・ピース・ア・チャンス」を合唱する。
警官隊は、催涙ガス弾を打ち込み、突入してくる。
 次々に暴力的に排除されてゆく学生達。
警棒で殴られて外に引きずられてゆく彼女を追って、
レノンの101 主人公は、警官隊に階段の上から飛びかかる。
そこで、ストップモーション。そして、
バフィ・セントメリーの歌「サークルゲーム」が流れる。
胸にグッときたなあ。

 同じ頃、ぼくは東京の日比谷公園前でデモ隊に
加わっていた。警察機動隊に周りをびっしり囲まれて
反戦デモをしていたが、前方の女子大生が
機動隊のジュラルミンの盾に強引に押されてよろけ、
倒されそうになったのを見て、機動隊に対して、
激しい怒りを覚えたもんだ。

ぼくの時代は、ビートルズと、学生運動の時代だった。
長崎の高校3年の頃、東京の大学生達が
ベトナム反戦と、反体制運動ということで、
続々と、デモや集会を繰り広げていた。
「なんじゃそれ?」と思って、雑誌を読むうち
ぼくは、学生運動に強く共感した。
これは、立ち上がらなければならんと思った。
校内の反戦グループにすすんで入った。
とはいっても、メンバーはわずか数人だった。

僕は自分で反戦ビラの文章を書き、
謄写版で印刷し、誰に相談することもなく
他校の門前で一人、登校してくる高校生に配った。
 文面では、まずアメリカの横暴を非難した。
学生運動101 その帝国主義は平和の敵だと訴えた。
そのアメリカに追随する、日本の体制も
敵であり,打倒すべきだと書いた。

東京の大学に入学すると、ぼくはすぐに「中核」と
いうセクトの部室?に行き、名簿に名前を書いた。
ところが翌日、その部室に行くと、窓ガラスから何から
全部叩き壊されていた。ゾッとした。
長崎の高校では、中核も革マルも、みんな
仲良くやっていたのに、東京では大学生が
セクト間で対立して、内ゲバという本当の殺し合い
をやっていたのだ。ぼくは一気に引いてしまった。
しかも、機関紙を読むと、支離滅裂の理論がビッシリ。
これで、普通の大学生がついてくるわけがない。

案の上、学生運動はやがて、一部の暴力闘争になり、
自滅してしまう。浅間山荘事件の頃には、ぼくも
テレビで「ふーん」と眺めるだけになっていた。
でも、あの頃の、社会悪に憤っていた自分、
それなりに何かやらねば!と興奮していた時代
というのが、とても愛しい。
ぼく自身はその後、いろんなアルバイトをやった後、
中くらいの食品輸入会社に就職した。
初めてスーツを買って、初めてネクタイをした。
それまでは、建築現場の肉体作業で、髪も長くしていた
落ち葉3 のだが、きれいに短くした。会社員になったのだ。

ユーミンの歌「いちご白書をもう一度」だが、

   いつか君と行った 映画がまた来る

   授業を抜け出して 二人で出かけた

   悲しい場面では 涙ぐんでた

   素直な横顔が 今も恋しい


   雨に破れかけた 街角のポスターに

   過ぎ去った昔が 鮮やかによみがえる

   君も見るだろうか 「いちご白書」を

   二人だけのメモリー どこかでもう一度


   僕は無精ヒゲと 髪をのばして

   学生集会へも 時々出かけた

   就職が決まって 髪を切ってきた時

   もう若くないさと 君に言い訳したね


   君も見るだろうか 「いちご白書」を

   二人だけのメモリー どこかでもう一度


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