石の2 最近の結婚式


結婚1 最近、甥っ子の結婚式に出席する機会があった。ぼくらとしては、
数十年ぶりの結婚式への出席であり、披露宴でもマイクの前に、
立つ役目はないので、食べて飲んでいればいいので気楽だった。
結婚式といえば、今は神道式か、キリスト教式かになっているが、
元々の日本式では、女性が男性の家に、お嫁に行く約束をして、
結納を交わし、結婚式は女性が男性の家に白い着物で輿入れして、
媒酌人の仲介で、三々九度の儀式を行った後、親戚、友人達と
祝いの酒宴を行うことで済んだ。つまり、神とは関係なかった。

神前結婚式というのは、日本の伝統的な結婚式のように思われて
いるが、歴史は浅く、実はたかだか明治時代からのものである。
ましてや、キリスト教式というのは、日本におけるキリスト教信者は
人口の1%くらいしかいないことを考えると、本来は成立しないはず
である。なので、昭和時代における結婚式は神道式が多かった。
ところが、戦後になると、憧れのアメリカ文化がワアーッと押し寄せて
きて、女性は洋服を着るようになり、そして結婚式でもウエディングドレス
に憧れるようになった。ほとんど欧米の映画やテレビの影響である。
豊かな西洋のロマンチックな夢の世界に浸りたかったのである。だから、
ぼくらの世代は、結婚式は神道で行い、披露宴では、花嫁が純白の
ウエディングドレスに着換えて登場するというのが一般的になった。
そして、ほとんどがホテルで行われていた。
遠方から来た親戚の宿泊にも都合がよかったからだ。

結婚2 ところが、そのうち全国冠婚葬祭組合が運営する結婚式場という
のが現れた。「玉姫殿」である。これがバブル景気の頃と重なった。
そのために派手派手になった。スモークがたかれる中、新郎新婦が
ゴンドラに乗って天井から宴会場に降りてくるという演出が有名である。
さらに当時のウエディングケーキというのは、豪華に見せるために、
やたらと背が高かった。そして二人でケーキにナイフを入れる時には
司会者が「結婚した御二人の初めての共同作業です」と紹介すると
いうのがお決まりだった。しかし、バブルが弾けた後は、派手過ぎる
のが逆に恥ずかしくなった。玉姫殿という名前もまるでキャバレー
みたいである。というわけで豪華さが廃れた。

今は、もっとスマートでオシャレな「ウエディングホール」が流行である。
建物は西洋式の造りであり、真っ白いチャペルが付随する。つまり、
キリスト教式である。ただ、本物の教会ではなく、あくまで疑似の教会
である。そして、今回の甥の結婚式もそれだった。
ぼくは、こういうキリスト教式に出席するのが初めてだったので、
どこまで本気で真似するのか、よくわからなかった。
披露宴は別として、結婚式は身内の少数で行うのかなと思ったが、
全員出席だった。どうせキリスト教徒は全くいないのである。

ただ、席に案内されると、どの席にも讃美歌の冊子が置いてあるのが
意外だった。何かイヤな予感がした。やがて、正面の一段上の檀上に、
神父が現れた。白人の中年紳士である。噂では、神父はたいていが
アルバイトであり、語学学校の講師が多いという。しかもあくまで
白人のイケメンでなければならないという。
やがて電子オルガンの厳かな音楽が響く中、後ろの扉が開いて、
バージンロードを花嫁が父に連れられてやってきて、花婿と並び、
神父に誘導されて愛の誓い、指輪の交換、そしてキスと式は進む
のだが、実はその前後に、神父の演説がやたらめったらと入る
のである。なんだこれは!と思った。

結婚3 ぼくはこういうのは、あくまでも「ごっこ」に過ぎないから、神父役の
人も、形式だけを適当にやるもんだと思っていた。ところがどっこい、
この神父さんが実に情熱的なのである。
「キリストの神の名において…」などと延々と演説するのである。
そして、演説の次には讃美歌を歌いましょうというのである。
そのために讃美歌の冊子が置いてあったのである。式場のスタッフ
の中には、その讃美歌を誘導する女性歌手までもいた。

結局、仏教徒のみなさん全員が、キリストの愛に関する長い演説を
聞かされ、キリストの愛の祝福に包まれ、キリストの愛を讃えた
讃美歌を3曲も歌わされることになったのである。仏教徒のみなさんは
こういう事態になることを事前に知っていたのであろうか?多分、
薄々とは知っていたのであろう。しかし、日本人は仏教徒でありながら、
神道という多神教の民でもある。実に寛容なのだ。
チャペルでの儀式が終わると、扉の外での白い階段でのフラワー
シャワーである。階段を降りて来る新郎新婦に、みなさんが花びらを
浴びせかける。快晴だったので、本当にCMそのままだった。

そして披露宴会場はチャペルのすぐ隣にある。これがウエディング
ホールの便利なところである。歩いて1分。そしてフランス料理。
披露宴を盛り上げる演出も、昔は友人達のたどたどしい合唱などが
多かったが、今ではさすがに映像技術を駆使したものだった。
結婚4 スクリーンでスライドショーをしながら、バックでは本人達が好きな
ヒット曲を流し、気の利いたセリフを字幕で重ねる。その編集が実に
うまくてウルウルさせるものだった。やはり、ウエディングホールの
プロのスタッフが関わっているのだろうか。

36年前のぼくら夫婦の結婚式というのを振り返ってみた。実は
当時としては珍しいことをやっていた。それは「人前結婚式」である。
神前式でもキリスト教式でもない。つまり、神に二人の愛を誓うのでは
なく、ぼくら二人で参列者に「今度、ぼくらは結婚するからよろしくな」と
いう宣言文を読み上げるというものである。だから、結婚式場がその
まま宴会場だった。そして、妻は最初から真っ白なウエディングドレス
を着ていたのである。ぼくらが結婚したのは1979年であり、結婚式場
は当時としては、まだ新しい東京の中野サンプラザだった。正式名称は
全国勤労青少年会館というのだが、ホテルとコンサートホールもあり、
アイドルがデビューする聖地としても有名だった。その中野サンプラザが
2015年の今年、解体することが決まったとニュースでやっていた。
老朽化のためだという。当然ながら、ぼくらも、老朽化しているのである。
(2015年1月)

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