石の2 蔵とラーメンの街・喜多方


喜多方1 福島県・喜多方市といえば、醤油ラーメンの町として有名である。
会津若松市の北方にあるので、喜多方になったと言われている。
内陸の交通の要衝であり、商人が集まったので、多くの蔵が建ち、
戦後も、その風情が多く残っていた。その街並みを地元の金田実と
いうカメラマンが写真に撮り続け、会津若松市やら東京やらで、
写真展を開き、それが評判になり、昭和50年にNHKの「新日本紀行」
で放送されると、懐かしき日本の風景を求めるカメラマン達が全国から
参集するようになった。

そのうちに彼らから「この町はラーメンがおいしいね」と評判になる。
町にあるのは「○○食堂」という名前の店ばかりなのだが、その
どれもが昭和の懐かしき「支那そば」を売りにしているのである。
ラーメンというのは戦後の名称であり、昔はあくまで「支那そば」
だった。鶏スープの醤油味で、かんすいを使った細麺だった。
ただ、喜多方市の場合は、大陸からやってきた麺業者の人が、
当地の醤油スープに合う太麺の縮れ麺を作り、これがいけると
評判になり、市中の店に広まっていった。それが「喜多方ラーメン」
である。今や、醤油ラーメンの代名詞になっている。全国的に、
三大ラーメンといえば、博多のとんこつラーメン、札幌の味噌ラーメン
喜多方の醤油ラーメンということになっている。

実際、喜多方市にはラーメン店が多く、駅前から老舗やら有名店が
喜多方3 ずらり並んでいて、観光に来た人は、駅前の観光案内で、ラーメン店
の地図マップをもらって、たくさんウロウロしている。
ぼくらも初めて来た時には、同じようにウロウロして、行列の並んで
いる店に入って食べてみた。行列に並ぶなんて滅多にやらないが、
せっかく来たのだからと、並んだし、店に座ってからも30分くらい待た
された。腹が立つより、すっかりあきらめていた。それで食べたのだが、
結構美味かった。ぼくは太麺は嫌いなのだが、観光気分が良かった
のか、素朴な醤油味のラーメンは、最近流行のコッテリ脂のゴテゴテ
ラーメンよりは遥かに美味かった。
そして、蔵の町としては、なるほどと思う。高層ビルもなく、町は
古い商店街の町並みが続いており、昭和の雰囲気がする。
ぼくはとても気に入ってしまった。

2回目に来た時は、白壁と黒漆喰を活かした新しい土産物センター
なども出来ており、定期的に駅には蒸気機関車が運行していて、
ずいぶん観光化が進んでいるものの、逆に商店街のシャッター化は
進んでいるのが残念だった。

そして三回目が、2012年の7月の夏祭りだった。
車で来たのだが、駅前の大通りが拡幅され、歩道もカラフルに
きれいになっていて、見違えるほどだった。ただ、その分、どこにでも
ある観光地に似てきている。蔵通りをメインにして、「レトロ祭り」を
やっているというので、駅近くに駐車して歩いていったら、通りに
入るなり、いきなり町の人が大勢集まっていて賑やかであった。
屋台がズラーッと並んでいて、商店のあちこちに、昭和の懐かしき
電化製品や道具類、書籍やら遊び道具が展示してある。
ぼくらの世代はそれを見てるだけでも、うれしてくなる。

町内の女の子達は、浴衣を着てきて下さいと奨励されており、
華やかである。蔵の町の通りは、車両通行止めになっていて、
七夕の短冊を竹に吊るしていて、大がかりな仙台七夕とは違う、
昔の素朴な七夕飾りをやっていて、それがなんとも昔風でいいの
である。町のあちこちには、昔の映画館の表に掲げてあった手描きの
看板が幾つもある。懐かしいなあ、よくこんなものが残っていたなあと
感心したのであるが、どうもよく見ると、彩色が新しいので、わざわざ、
新しく描いたようである。石原裕次郎や、美空ひばりの映画の看板な
のだが、なるほど新しいのである。これも町起こしの美術である。

レトロのイベントのひとつとして、クラシックカーのパレードがあった。
昭和戦後の国産自動車の名車がぞくぞくと集まって来た。懐かしい!
日産ブルーバードや、トヨタプリンス、コロナやスカイライン、グローリ
ア、多分、近県の所有者のオヤジが頼まれてやってきたのだろうが、
運転しているみなさんを見ると、皆、お金持風のチョイ悪オヤジであり、
「どうだ!」という感じでやってきているのがわかる。
多分、彼らは金持ちの息子だったのだろう。当時のぼくなんぞは、
地方からやってきた貧乏学生だったので、車には全く縁がなかったし、
当時の東宝映画で、加山雄三扮する大学生が車を乗り回しているの
を見ても、まるで別世界にしか感じなかったが、やはり、当時も車を
乗りまわしていた若者が実際にいたのだなあと不思議に思う。
だから、ちょっぴり敵意を感じてしまった。

その日に集まったクラシックカーには、オープンカーもいくつかいた。
ところが、当日は雨だったので、それは悲惨なものだった。高速を
走ってきたために、突然豪雨になっても、屋根をつける隙もなかった
らしく、ドシャ降りに濡れている人もいた。また、雨が降ると当然ながら、
窓を閉めるのだが、当時の車はクーラーがついていない。ということは
車内はムシっとして暑いのだ。ぼくらが傘を指しながら、それらの
車とすれ違うと、ヒゲを生やしてチョイ悪オヤジが運転する車の助手席
で、若い女がウチワをバタバタとあおいでいるのに思わず笑えた。

喜多方2 考えてみれば、当時の乗用車というのは、今の標準に比べると、
かなり車内が狭いのである。だから、昔は車を運転していても夏は、
窓を開け放って走っていたのである。車内は狭いし、クーラーもない
ので、当時の若者は夏には、片腕を窓の外に投げ出していたりした
のである。あれが不良っぽくてカッコいいからと、今でも真似をする奴
がいるが、今は車内が広いので腕を外に出すには、かなり無理をして
いるはずであって、ほとんどバカである。
それはともかく、クラシックカーパレードはやはり、ぼくらの世代に
とっては楽しいものである。例えば、ぼくらが仙台から乗ってやって
来た現在の車はトヨタのプレミオであるが、これの先代はぼくらの
子供の頃に、大ヒットしたコロナという大衆車である。そのコロナを
見つけて妻に、「あれ、あれ、あれが今の車の御先祖だよ!」と
教えてあげることができて感激だった。

喜多方市のレトロ祭りは夏に、毎年行われるようである。
ずいぶん力を入れているようなので、がんばって欲しい。
ぼくらの世代は大歓迎である
(2012年)

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