石の2 金売り吉次の伝説


吉次1 東北の宮城県から岩手県にかけて、観光巡りしていると、
平安時代の人物として「金売り吉次」という名前をよく耳にする。
九州にいる頃は全く知らなかったが、こちらではかなり良く知られて
いる歴史的な人物である。
何をやったかというと、東北で豊富に産出した金を、京都まで運んで
商いをした総元締めのような存在だったらしい。
その居館は東北の平泉にも、京都にもあったという。

へえ、東北で金が採れたのか?と思うかもしれないが、実は、
古代日本においては、宮城県は金の最大産出国だったのである。
奈良時代、仏教に帰依した聖武天皇が、災害や疫病の続く世を
なんとか救いたいと願い、奈良に東大寺と大仏を建立したのだが、
表面を覆う黄金が足りなかった。そこで、全国に鉱物技師を派遣して
探したところ、陸奥国で有力な金山が見つかったと報せが入り、
大喜びしたという話が伝わっている。

それが宮城県北部の涌谷(わくや)町近辺であり、現在、そこには
黄金神社がある。それをきっかけに、周辺の北上山地やら、
海側の三陸、気仙沼まで、金を続々と産出するようになった。
実際、この周辺地域には「金」がついた地名が多い。
金山町、金成町、金崋山などなど。
実はぼくが住んでいる狭い地域である仙台市太白区のご近所にも、
金剛沢という地名があり、ここも昔は金山と呼ばれていたらしいし、
川には、金洗い橋という地名もある。たぶん平安時代には大量の
砂金が採れていたのだろう。実際、金売り吉次は、いつも袋に
詰めた砂金を大量に持って京都に商売に来ていたという。

そして、平安末期に、東北の平泉で栄えた奥州・藤原三代は、
吉次2 その黄金の力に支えられていたのである。平泉の中尊寺を見れば
わかるが、そこには、黄金で覆われた国宝の金色堂がある。
金売り吉次は、奥州・藤原氏のために、陸奥と京都を往復し、
京都のあらゆる栄華を東北に輸入した。あらゆる職人を呼び、
当時の平泉は、まるで京都の都を移したかのような景観であり、
奥州・藤原三代は、東北の独立王国として栄えたのである。

そして、金売り吉次は黄金の商いばかりでなく、ある人物を
平泉に誘い連れてくることによって、歴史に名を残すことになった。
その人物とは、京都の鞍馬寺にいた牛若丸、後の源義経である。
元々、蝦夷である奥州・藤原氏は京都の藤原氏の縁者と混血して
同化し、藤原姓を名乗っているわけだが、そこに源氏の嫡流である
貴種を加えることができれば、さらに家名を安定することができる。
吉次はそのために、牛若丸をくどいて連れてきたらしい。
義経は平泉の藤原秀衡の元で、客分扱いにされ大切に育てられ、
やがて、兄の源頼朝が伊豆で平家打倒の軍を立ち上げると、すぐに
その傘下に駆け付け、天才的な軍事技術を発揮して、平家打倒の
立役者となる。東北・藤原氏も大いに喜んだことだろう。
ところが、義経は軍人としては天才だが、政治的には
無能だということが、鎌倉幕府が成立した後に露呈する。

鎌倉幕府というのは、京都朝廷の独占的な富の所有に対して、
地方武士が独立して、自分の土地の所有を宣言するという
革命政権であり、頼朝はそういう武士連合の利益代表あるいは、
組合長に過ぎなかった。頼朝はそれをはっきり認識していたが、
義経にはそういう構造がまるでわからなかったのである。
単純に平家を滅ぼせば、兄が次の貴族の代表になれるくらいに
しか思わなかった。だから、自分も京都において、敵である朝廷から
勝手に高い位を授けられて喜んでいる始末である。そうなると、
義経は「ただの包丁でしかない」と危険視するしかなかった。
頼朝は、義経を追放、追捕することに決定。パニックになった義経はもう、
平泉に逃げるしかなかった。
その逃避行の一部が、有名な歌舞伎の「勧進帳」である。

しかし、平泉に逃げ込んだ義経をかくまった奥州・藤原氏はそうなると
鎌倉幕府の敵である。四代目の藤原泰衡は鎌倉の脅迫に負けて、
とうとう平泉にかくまっていた義経を攻撃して殺してしまうのである。
泰衡はこれで奥州は大丈夫と思ったらしいが、頼朝は冷徹だった。
義経をかくまったおまえも同罪だとされ、結局、攻撃され、ここに
黄金に輝いた奥州・藤原家は滅ぼされてしまうのである。

その後の歴史では、東北の金坑というのはあまり聞かない。
江戸時代ならば、有名なのは佐渡金山である。
奥州・藤原氏が滅ぼされると、平泉は元の田園に戻ってしまった。
今残っているのは、金色堂と、毛越寺(もうつうじ)だけである。
金売り吉次も、黄金を商っていた東北出身のいろんな商売人の
集合体としての伝説ではないかと言われる始末である。しかし、
金売り吉次という名前は東北においては、確固たるものである。

ちなみに、東北の太平洋側で珍重される高級魚として、
「きちじ」あるいは「きんき」という魚がある。
カサゴ科で、表面が赤くて、目が大きく、白身の魚である。
値段が高いが、金売り吉次とは直接の関係はないらしい。
(2010年)

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