石の2 コーヒーの味


コーヒー1 今では昭和の喫茶店はすっかり廃れて、アメリカのスターバックスや、
日本のドトールコーヒーなどが普通になってしまったが、今と昔で、
どちらが美味しいかと聞かれれば、今の方がはるかにおいしい。
ぼくは40年くらい前、銀座松屋デパートの地下食堂街のコーヒー店で、
6年くらい店長をやっっていたので、なおさらそう思うのだ。

どうして今の方がおいしいかというと、昔より品質がずっと良いからだと
いう。といっても、ボクがそういうことを知ったのは、つい最近である。
昔はブラジル・サントスといっても、サントス港に向こう側で勝手に
集積したのを、商社がまとめて買って、日本に持ってくるだけで、
どこの農園かとかそういう情報は一切なかった。品質もバラバラで、
あとはコーヒー会社がそれを買って、焙煎して、各店に卸すだけだった。
アメリカですら適当に買い込んで、浅いローストの豆を淹れた薄めの
コーヒーを大きなカップで飲んでいた。日本でも薄いコーヒーをアメリカン
コーヒーと称して、普通のコーヒーにお湯を足して出したりしていた。

ところが1980年代になって、アメリカ主導で、品質に基準を設けようと
する動きが起こり、それまでは、大雑把な買い方しかしていなかったの
が、産出国に対して豆の品質に関して厳しい要求をするようになった。
その第一は、良い豆に悪い豆が混ざらないように選別をして、品質を
均一にしろということだった。それによって等級をつけることが出来る。
そして、等級の良い豆を高く買うことにより、味の良いシアトル系の
スターバックスのようなコーヒーチェーンが誕生したのである。

コーヒー2 ところが、それまでの日本はまだ経済成長途上の貧しい国だったので、
そういう高いコーヒー豆が買えなかった。ところが、日本人は勤勉であり、
何かしら工夫をする民族である。なんとかおいしいコーヒーを作り出そう
としたのだが、コーヒーの場合はすごく変な工夫になってしまった。それが
「抽出至上主義」という信仰である。生豆の良し悪しがどうであろうと
ドリップの仕方の名人芸によって、味は決まるという考え方である。
ぼくも当時の名人といわれるコーヒー店主の本を幾つも読んだのだが、
コーヒーの淹れ方は難しいものであり、そこいらの素人では、そう簡単
においしく淹れることは出来ないという、「コーヒー道」が主流だった。
だから、珈琲などと書いてある専門店に行くと、店主はマスターと呼ばれ、
「さすが、マスターの入れたコーヒーは味が違うねえ」などと言われて、
悦に入っている人が多かった。

「それはちょっとおかしんじゃないか?」とぼくは当時から疑問を持って
いた。というのは、コーヒー店主の本ではなくて、コーヒー豆を輸入する
商社の人の本を読むと、日本で世界最高のブランド豆と信じられている
ブルーマウンテンは世界では全く知られていないとか、一番人気のモカ・
マタリは、収穫量よりも世界に出回っている量の方が遥かに多いという
話があったからである。どうもウソが多い世界のようだと思った。
ぼくがコーヒー屋の仕事を去ってから30年以上経つが、その疑問に
ついて、改めて最近のコーヒー関係の本を読んでみると、案の定、
当時の抽出神話は崩れていた。やはり、そうだったのだ。今では、
コーヒーの味は、生豆8割、焙煎2割と言われている。そして、今では
日本でも昔とは違って、高級な豆を買い入れる国になっている。

コーヒー3 日本で抽出至上主義が生まれた背景には、コーヒー豆の粉にお湯を
注いだ時に生まれる渋みなどのアクを取り除けば美味しくなるはずだ
という気分があったのだと思う。日本には鍋物文化があり、煮立てて
いる時に浮いているアクを取るのが大事だと教えられる。アクには
雑味があり、それを除かないと、本当の旨みがわからない。同じ発想
で、コーヒーの場合でもアクを取ることにこだわったようだ。だから、
ネルの布ドリップや、ペーパードリップで、お湯を少しすつ注いで、
蒸らして泡立てて、それによって、いかにアクを取り除くかに、こだわ
ったのだ。いわば、さらっとした香りに執着した。

一方の欧米では、そういう細かいことにはこだわらなかった。
とにかく、粉にお湯をドバっと注いで一気に抽出し、アクなど気にせず、
それすら、コーヒーオイルの旨みとして楽しむのである。現在、日本で
流行りつつある、フレンチプレス式というのは、この楽しみ方である。

だいたい、欧米ではコーヒーの繊細な香りを楽しもうという気分はない。
深炒りして真っ黒にして、エスプレッソコーヒーにして、苦みもアクもある
がままに、それをミルクで割ってカフェオレやら、カフェラテとして中和し、
飲んでしまおういうのが普通である。だから、機械化するのも早かった。
元々お湯を粉に押し付けて強引に抽出するものだったから、すぐに
電動化された。アメリカでも電気自動化するのは早かった。
ところが、ぼくらの日本では、コーヒーの味は抽出の職人技だと信じて
いたので、マシンがやれるとは到底思わなかった。

コーヒー4 ところが、最近のコーヒー店では、どこも電気マシンでやっている。
しかも、それでもうまいのは、機械が進化したというのではない。
品質の良い豆を使っているからである。良い品質の豆さえ使えば、
電気マシンでジャっとやっても美味いのである。
と思っていたら、マシンも進化していた。おいしいコーヒーを作るため
には、挽きたて、淹れたてが一番の条件である。昔の喫茶店で、
コーヒーが美味しくなかった理由は、数十人分を淹れてポットに移して、
それを湯煎か、電気で温めていたので、時間が経つと煮詰まってしまった
からだが、今のマシンは注文があってから、一杯毎に挽き、淹れるというの
を高速道路のパーキングエリアの自動販売機ですらも簡単にやっている。
驚くべきは、コンビニエンスストアでも一杯100円でやりはじめた。
しかも、これが実に美味い。時代は変わったと、感心してしまう。

参考:「コーヒー・おいしさの方程式」田口護・旦部幸弘…NHK出版・2014年
(2015年2月3日)

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