石の2 鯨を食べる県民、1位は長崎、2位は宮城


鯨1 宮城県北部の牡鹿(おじか)半島の先に鮎川という小さな漁港がある。
昔からここは鯨で有名な町だという。船着き場の近くには鯨肉を売る
商店が軒並みあって、港のすぐそばには「おしかホエールランド」と
いう、なかなか見応えのある鯨の博物館がある。中庭には引退した
本物のキャッチャーボートが据えてあり、甲板や船室を歩いて回れる
ので、ぼくは興奮して歩き回った。キャッチャーボートというのは、鯨に
銛(もり)を撃ち込んで捕える、いわば戦闘船にあたるもので、鯨を
解体する設備を持つ大型の捕鯨母船に比べると、その周りでたくさん
ウロチョロしている小さな船に当たるのだが、実際にのぼってみると、
けっこう大きな船である。

ぼくが捕鯨のキャッチャーボートに興奮して喜んだのは理由がある。
亡き父が京都魚市の長崎出張所長をやっていたのだが、その事務所
にはクジラのヒゲがテーブルに飾ってあり、壁にはクジラの部位の図
解表が貼ってあり、写真には大洋漁業のキャッチャーボートに乗せて
もらって微笑んでいる写真もあったからだ。父は毎日、長崎魚市場に
出かけて行って競りに出て、買い付けた海産物を京都に貨物便で
送りつける仕事をしていたのだが、そのついでに我が家用にはよく、
伊勢海老やワタリガニ、生クジラ肉を買ってきた。事務所に鯨関係の
飾りが多かったというのは、捕鯨大手である大洋漁業との取り引きが
多かったのだろう。なにしろ、長崎は南氷洋捕鯨の基地であり、実は
そのもっと前の江戸時代からも、歴史的に捕鯨の町なのである。

江戸時代から、長崎の五島列島の辺りには鯨の回遊が多く、
「一頭で七浦が潤う」というくらい鯨漁は村々を豊かにしたので
どこもさかんに、網を使って港に追い込む漁をやっていたという。
そして、九州近辺で獲れた鯨は全て長崎の大村湾の彼杵(そのぎ)港
鯨3 に陸揚げされ、そこで解体されて、九州各地に配分されたのだが、
一番おいしいとされた腹の部分の畝(うね)身やベーコンなどは、柔ら
かさと同時に、新鮮さも勝負なので、一番近い長崎に真っ先に送られ
たという。なにしろ、江戸時代の長崎は、オランダや中国との貿易で
潤う、裕福な町民の暮らす町だったので、それを競って買うだけの力
もあったのである。そのため、長崎ほど上等の鯨肉を食べられる土地
はなかったという。だから今でも長崎には、鯨肉を専門に売る店が
プライドを持って、それなりに存続しているのである。

そして、他の新鮮さを必要としない部位は、佐賀や福岡やその他の
県などに運ばれたが、その中で明治時代になり、保存目的に加工さ
れて佐賀県の名産品になったものとして「松浦漬」というのがある。
これは鯨の軟骨を粕漬けにして、缶詰にしたものであり、カリカリとし
た味わいで酒の肴として、なかなかおいしい。

また、東日本で塩辛というと「イカの塩辛」が普通だろうが、長崎で
塩辛といえば「オキアミの塩辛」が普通である。小さなエビの種類で、
本来、鯨の餌である。鯨は大きな口でそれを大量に呑み込んで栄養
にする。鯨の餌があんなに小さなエビというのも不思議なものだが、
それだけ大量のオキアミが南氷洋にはウジャウジャいるのである。
だから捕鯨船としては、オキアミなどをついでに簡単に大量に採って
鯨2 くるのであるが、一匹一匹があまりにも小さいので料理にも出来ず、
ええい!めんどくさいと塩に漬け込んで塩辛にしたのが「アミ漬け」
なのである。昔はこれをオカズにご飯をモリモリと食べた長崎市民も
いたようだが、その塩辛さが半端ではないので、ぼくなどは箸の先で
少しつまんで、チビチビ舐めるように酒の肴にする。東北のスーパー
では売ってないので、デパートの九州物産展で買うしかない。

長崎に帰って友人と居酒屋で飲む時、肴として注文するのは、まず
「アジのたたき」であり、そして「〆サバ」。刺身としてはヒラス、ヒラメ、
ハマチ、ブリ、タイなどであるが、最近、帰崎する度に、鯨料理が長崎
の名物料理として強調されているような気がする。昔から食べられて
きたが、改めて様々な調理法で、名物として復活させようとしているようで
ある。実際、思案橋辺りにも鯨肉専門店がデンと構えている。
そして、今回初めて知ったのだが、鯨肉の個人消費量は、長崎がなんと
全国第一位なのだという。えー、そーだったのか!ぼくは還暦に
なるまで知らなかった。そして、第二位がなんと宮城県であるという。
これも驚きである。仙台でスーパーに行っても鯨肉はそれほど目立た
ないし、鯨肉の専門店もないからだ。どこで食べているんだろう?
(2013年・平成25年)

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