石の2 長崎の母と妹を仙台に招待した


久美子11 ぼくらが仙台に引っ越して、数年後のことだが、
長崎の母と妹を仙台に招待したことがある。
長崎と仙台との一番大きな違いは何かを考え、
彼女らが一番何を喜ぶだろう?と考えると、
答えは簡単, …雪である。
試しに「いつ頃、来たい?」と聞いてみると、
一も二もなく「冬!」だった。そこで、1月にした。

仙台空港に出迎えて、車で自宅まで走る間、
1月なのに、雪がないことに二人は、不満そうだった。
そこで、仙台は東北でも雪が少ないことを説明して、
「でも、山に行ったら、たっぷりあるから」
というぼくの言葉に、少し安堵したようだった。

自宅での妻と義母との挨拶もそこそこに、
宮城蔵王の高原にあるホテルに向かって、
全員で車を走らせた。
すると、途中にある釜房湖の水面が、
半分凍って、白くなっている。
それを見た母と妹の目がウルルンとなって、
口が半開きで笑っていた。感動しているようである。

久美子12 遠刈田温泉を過ぎた辺りから、車道の脇に、
積雪がバウムクーヘンのように重なっている。
二人の瞳孔が開き、鼻息が荒くなるのがわかった。
夕方にホテルに着くと、もう一面の雪景色である。
しかも、粉雪が舞い始めた。
妹は、部屋の窓を開け、手を伸ばして、
「きゃー!雪よ、雪よ!」と狂気乱舞である。
「散歩したい!」という妹を「遭難するから」と
押し留めて、雪見酒の夕食に持ち込んだ。

翌日は快晴。スキー場に連れて行くことにした。
しかし、途中の雪原を走っている時に、
我慢できなくなった妹が「止めて!」と叫んだ。
雪原に入って行って、わあ!と寝転ぶのである。
母はさすがに寝転ばなかったが、両手を上げて
わいわいと歩き回っている。
秋田出身の義母は車から出ようともしなかった。
「スキー場には、もっと雪があるからさ!」と
ぼくが先を促して、やっと出発した。

えぼしスキー場に着くと、ゴンドラに乗って上まで登った。
今回は、ぼくもスキーを持たずに付き合った。
久美子13 母と妹は、ため息ばかりで、さすがに寡黙になった。
「素敵ねえ。よかねえ」とだけ、うわごとのように繰り返す。
上のレストランで昼食を取ったが、その前に妹は、
やはり、何回も仰向けになって雪に寝転び、
ついに母までも、仰向けになって寝転んでいた。
写真を撮れと言うので、数十枚も撮ってあげた。

翌日の宿は、仙台の母が選んだ日本旅館である。
作並温泉の、有名な「一の坊」。
渓谷沿いにあり、雪を見ながら食事、そして温泉。
屋根付きの露天風呂に降りる途中に、
「大根茶屋」という、小さな飲み処がある。
そのカウンターにみんなで並んで座って、酒を飲み、
ふろふき大根をいただく。仙台の母が、
長崎の母と妹を「こちらは、長崎から来たの」
とカウンターのおばちゃんに紹介すると、「まあ!」と、
小なす漬けをおまけしてくれた。

メニューを眺めると、お風呂の中に桶を浮かべて
日本酒を飲めるサービスがあるという。
目ざとい母と妹は大喜びで、それを注文した。
さて、本当に、露天風呂に浸かっていると、
熱燗のお銚子と、お猪口を乗せた木桶がやってきた。
プカプカと浮かべて、渓流と雪を見ながら、
久美子14 「こういうのが、やってみたかったとよ!」と
母子共々、雪見酒で極楽気分になったという。

すると、同じ露天風呂にいた、関西のおばちゃん達が、
どやどやと近づいて来て、
「すんませんけど、それ貸しもらえませんか?」
ときたそうだ。応じると、おばちゃん達、その木桶を
真ん中に据えて、仲間の集合写真を撮ってギャーギャー
喜んでいたらしい。とても関西人らしい。

母と妹は2泊3日で帰ったけれど、
彼女らの希望通り、東北の雪景色をたっぷり
楽しんでもらったので、今でも、あの旅行を
「なんて幸せだったんでしょう」と喜んでくれている。
(2011年10月30日)



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