石の2 ヤンチャな街…福岡県・久留米市


くるめ1 久留米市といえば、福岡県南部の筑後平野における中心都市であり、
人口も、百万都市の福岡市、北九州市についで3番目の30万人である。
ぼくは福岡時代に2度行っただけだが、筑後川に面した風光明媚な街で
ある。ただ、一般的なイメージとしては、松田聖子チェッカーズを生んだ
街であり、ついでに暴走族がやたら多いというのが有名である。
福岡自体が、芸能人を多く輩出している都市であり、ヤクザ抗争も多い、
血の気の多い土地であるが、久留米市というのは、それをさらに擬縮さ
せたような街であるらしい。なにしろ、ぼくらがドライブで初めて、市内に
入った時、道路上で、車の運転手が警官と派手に口論しているのを見か
けたので、やはり噂は本当だなと思ったものだ。

しかし、その後、この街は実に多面的な人材を輩出していることを知った。
まず、江戸末期だが、「からくり義右衛門」と言われた田中久重がいる。
彼が1820年代に作った、からくり人形の「弓曳き童子」と「文字書き人形」は
今でも有名である。その頭脳を認められて佐賀の鍋島藩に技術者として
雇われると、外国製の外見を見ただけで、日本初の蒸気機関車と蒸気船を、
模型ながら作り、後には国産初の蒸気船も製造した。そのために、佐賀藩は
幕末において唯一、蒸気船の修理をする技術を持つ藩になった。田中自身は
明治維新後は、東京の芝浦に電気通信機の会社を立ち上げ、それが発展した
のが現在の東芝である。JR久留米駅の前にはその歴史を記念して
「からくり太鼓時計」という電気仕掛けで動く碑があり、「赤いスィートピー」
「涙のリクエスト」「上を向いて歩こう」の曲を交互に流している。なんで「上を
向いて歩こう」が?と思う人もいるかもしれないが、日本の代表的な作曲家で
くるめ2 ある中村八大も久留米の出身なのである。

東芝創業者を出しただけでもすごいが、実はもう一つ、久留米で生まれた
世界的なメーカーがある。ブリジストンである。同じ明治初期に、仕立て屋から
始めて、足袋の生産に特化して大きくなり、足袋の下にゴム地をつけるという
アイデアで大成功し、兄の石橋徳次郎はそのままアサヒ靴を発展させたが、
もっと先の時代を見据えて、自動車のタイヤを作り始め、大変な苦労の末に、
世界的なメーカーにまで育て上げたのが、石橋正二郎である。
ブリジストンという社名は、石橋を英語名に直訳してひっくり返したものだ。

その後、石橋家は今では経営を世襲することはせず、株主として控えているが、
その資産は莫大である。三代目が資産を引き継いだ時、1800億円を相続し、
相続税として1000億円を取られたが、その時に久留米市に5億円を寄付した。
筑後川を渡って久留米市内に入る長い橋を車で走りながら、川沿いにズラーッと
並んでいる工場は日本のゴム産業がこの街で発祥したことを顕しているのである。

そして、企業家といえば、現代になっても、おもしろい人物を輩出している。
どちらもIT関係だが、まず、ライブドアのホリエモンこと堀江貴文である。
一回ポシャってしまったが、まだしぶとく何かをやろうとしているようである。
そして、もう一人が、ソフトバンクの孫正義である。こちらは大ボラを吹くと
くるめ7 言われながらも、正当に業績を伸ばしているようである。この二人は、どち
らも、久留米大学附設高校であり、ちなみにジャーナリストの鳥越俊太郎
も、この高校の卒業生である。久留米大学というのは、前身が医学校だった
ために、久留米には開業医がとても多い。
そして、久留米と言えば一応、二人の画家を忘れないでおきたい。
明治の日本を代表する西洋画家、青木繁と、坂本繁二郎だ。青木繁
「海の幸」は誰もが美術の教科書で見たことがあるはずだ。

久留米が発祥といえば、ぐっとくだけて、実は九州の豚骨ラーメンも
久留米が発祥である。戦後すぐは、福岡でも熊本でも、中華ソバといえば
くるめ3 醤油味だったが、久留米ラーメンの豚骨味が美味いというので、九州が
全て豚骨スープになってしまった。そして、この豚骨スープが今や、アジア
どころかニューヨークやパリの日本ラーメンスープの標準になろうとしている。
また、久留米と言えば焼き鳥の街だという。人口に比して焼き鳥屋が
日本全国で一番多いのだという。これは愛媛の今治市や、北海道の
室蘭市と競り合っているらしい。

そして、久留米といえば水天宮である。
長い商店街を歩いた末の、筑後川沿いにある。水天宮という神社は、
日本全国にあり、東京では日本橋蠣殻町が有名だが、その総本宮が
久留米である。幕末には、ここの神官家から真木和泉という人物が出た。
くるめ5 尊王攘夷派のリーダーとして活動し、長州の久坂玄瑞らと「蛤御門の変」
を起こしたが失敗して自害した。その石垣の下をぼくらが散歩していたら、
石垣の上で、足をブラブラさせていた数名の小学生男子から「おーい、
キスしろ!」と囃し立てられたことがある。30年前のことであるが、
やはり悪ガキの街だと思った。

「そこまで言って委員会」の常連である、評論家の宮崎哲弥も久留米出身
で、中学生の頃はとんでもない不良だったという。とはいっても、普通の
不良ではなくて、不登校で家にいて、思想書を片っ端から読み、夜になると
ナイフを持って徘徊していたというから、やはり変なガキだったのだろう。
くるめ6 それにしても、久留米出身の人は、松田聖子といい、孫正義といい、堀江
貴文といい、叩かれても這い上がってくるような、したたかな人が多いよう
な気がする。性格も一筋縄ではいかないというか、品行方正な有名人を
輩出するというよりかは、どこに飛んでゆくかわからないが、才能にまかせ
て、はじけた人を次々と輩出する土地柄のようである。
(2014年8月)



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