石の3 日本三景・松島

松島1   松島は、仙台から車で1時間。
   内湾の海に、小さな島々が点々と
  散らばる風景が美しいとされる。
  ただ、島だらけ、半島だらけの長崎県から
  来たぶんには、たいして珍しい風景ではない。
  ただ、それらに雪が積もるとなれば、
  話は別である。
   観覧船もあるが、当初は,客が少なかった。
  ところが、クルーズしながら、牡蠣鍋を食べる
  ようにしたところ、とても人気が出て、
  利用客が3倍になったという。

   芭蕉が来た頃の松島は、
  もっと自然と静寂に、満ちていたと思うが、
  現在の松島海岸は、みやげもの屋が
  びっしりと立ち並び、大型バスとツアー客で
  ごったがえす、喧騒な観光地である。
   だもんで、「奥の細道」を辿る旅のエッセイを
  書く人々には、はなはだ評判が悪い。
松島28     実際、呼び込みをしている食堂では、焼き置きした
  サザエのつぼ焼きが一個600円もする。ふんだくる。
   ただ、ことさらに「奥の細道」の風情を求めさえしなければ、
  にぎやかで、楽しい観光地である。
    松島といえば、「松島ああの、さあよお、瑞巌寺ほーどーの
  寺も無いとおえーあれはあええーエンヤードット」、と歌う民謡
  「才太郎節」が有名だが、それを東京では、
  「前は海、後ろはハト屋のたいしょう園」という替え歌で、
  伊東の旅館・ハト屋のテーマソングだと思っている人も多い。

  それにしても、日本三景であるが、
  ここ「松島」と、若狭の「天橋立」と、安芸の「宮島」
  の三つだそうである。ただ、
キャラクター   「だそうである」と簡単に言われると、少々腹が立つ。
  「そんなこと、いつ、誰が決めた?」と思う。
   そこで、調べてみた。すると、
  江戸時代初めの儒学者・林春斎が、日本中
  あちこちを旅して回って、1643年に書いた、
  「日本国事跡考」にあるのが最初だという。
  この幕府お抱えの学者が、勝手に決めたそうである。
   芭蕉が松島を訪れたのは、その63年後である。

  ただ、松島自体の名声は古く、
  万葉の頃から、京都に知られていたという。
  なにしろ、803年に坂上田村麻呂が、蝦夷侵略に来た時に、
  松島の景観に感激して、そこに「五大堂」を造ったというのだ。
   今では、ツアーの観光客は、その「五大堂」をバックに、
松島286   記念写真を撮ることになっている。

   芭蕉は、憧れの松島にやってきて、幾つかの俳句を詠んだが、
  それらは「奥の細道」には載せられていない。
     「松島や、ああ松島や、松島や」
  という有名な句があるが、実はあれは、
  芭蕉ではなくて、江戸後期に、
  別の人が作った句なのだという。
  ただ、松島のおみやげグッズには、
  伊達政宗の人形と、松尾芭蕉の人形が
  とても多く、どちらも、マンガチックで、
  とても、かわいらしい。

3の石 最初に戻る