石の2 「南の島に雪が降る」…がとてもいい


南1 戦争体験記としては異例の、笑えて泣ける感動的な話である。
著者は俳優・加東大介。もうすでに故人なので、若い人は知ら
ないだろうが、ぼくの頃は、東宝の喜劇映画で有名な俳優だった。
黒沢明の「七人の侍」にも、7人の一人として出演していた。彼の
甥っ子が、長門裕之や津川雅彦である。
元々、役者の両親の元に育ち、いろんな演芸の素養を身につけて
旅回りをしていたが、戦争が始まると徴兵された。中国戦線を経て
南方のニューギニアに派兵され、そこでは終戦まで、実際の戦闘を
することはなかったが、飢えとマラリアに悩まされたという。

太平洋戦争というのは不思議なもので、日本軍の場合、まともに
戦闘をして死んだ兵隊よりも、餓死病死した人数の方が多いのである。
なぜかというと、戦線を拡げ過ぎたためである。戦争をするためには、
最前線に兵隊、弾薬、食糧を運ばなくてはならないが、アジア全域を
まかなうためには、多くの輸送船を守るための制空権が必要である。
南2 ところが、日本軍は、真珠湾から最初の1年間はそれを維持していたが、
2年目になると、ミッドウェー海戦の失敗により、多くの空母や戦闘機、
歴戦のパイロットを失い、太平洋の多くで制空権を失ってしまった。
そうなると、日本の輸送船は、バンバン沈められるわけである。
当然ながら、南方の日本軍基地では、資材も何もかも不足する。
それに比べて、アメリカさんは金持ちだから、あらゆる資材を
バンバン送り込んできた。その格差がすごかった。

米兵が缶詰の肉やパンを食べ、アイスクリームまでも食べていた
のに、日本の兵隊は、サツマイモのツルや、雑草などを食べて
飢えをしのいでいたのである。さらにマラリアである。薬もなかった。
そういう状態で、多くの兵隊達が、飢えと病気でどんどん無駄に死ん
でいった。特に一部地域では、南方戦線に取り残されてしまった。

というのは、米軍は最初は、オーストラリアに近い南方から順々に
日本軍の基地のある島々を潰して行こうと計画したのだが、
米軍が3日で占領できると豪語したガダルカナルや、硫黄島に、
1か月もかかり、しかも米軍の被害があまりにひどかったので、
米軍首脳部は頭を切り替えた。要は、日本本土を爆撃できる基地を、
確保できればいいのだから、その途中のニューギニアの日本基地
などは放っておこうということにしたのである。どうせ補給がないの
だから、そのままにしていても、何も出来ないと踏んだのである。

そして、それは実際その通りであった。弾薬もねえ、薬もねえ、食いもんも
南3 ねえ、船も何にもねえ。そのジャングルの中で飢え死ぬしかなかった。
毎日考えることは、何を食べるかということだけだった。ただ、その中でも
加東大介さんを始めとする人達が、演劇をしてみんなを慰めようと考えた。
役者魂がそうさせたらしい。それを上司に提案すると、おもしろいと即座に
許可が降りた。当時の演劇といえば、大衆演劇で、国定忠治やら、忠臣蔵
やら、お涙頂戴の決まりきったものが多い。
誰にでもわかるものでなければならない。シナリオが決まったところで、
役者を募集することになった。で、いざ募集してみると、見事に個性的な
人物がゾロゾロと集まったのである。その過程が、まるで「七人の侍」と
そっくりなのがおもしろい。

さらに、舞台や客席なども、兵隊には大工などがいて、協力してくれる。
何にもないと言いながら、いろんな工夫をして、舞台装置やら、あらゆる
服装やらカツラやら、なんでもこしらえてしまうのである。当日には、役者も
バッチリ化粧もして備えて、照明の中に躍り出る。特に女装をした役者は
大人気で、一度でいいから尻を触らせてくれという将官も多かったという。
そういうわけで、南洋のジャングルの中で、加東大介がプロデュースした
演劇は大成功を納め、大評判になり、あちこちの部隊から、はるばると
山を越えて観劇に来たという。

南4 そういう中、雪の中の親子の別れという場面をやった時のことだった。
上から紙ふぶきを散らし、床にはパラシュートの白い絹布をフワフワと
波立たせて、雪国を再現したのだ。普通はそこで、わあーと盛り上がる
はずなのだが、どういうわけか、客席がシーンとしている。不思議に思って
舞台袖から観客席を覗いてみると兵隊達がみんな泣いている。実は
当日の観劇者は、雪国の東北の連隊だったのだ。ふるさとの雪景色を
見せられて感極まったのである。ただただ、泣いていたという。

この体験記は、2回映画化されていて、最初は加東大介自身が主役に
なり、森繁久彌などが出ていた名作だったが、最近リメイクされたものは、
ちょっと趣旨が違う別物であるようだ。ただ、最近、演劇になって上演されて
いるものは、原案に則っているようだ。そして、加東大介さんの原作は、
本屋に行けば、文庫本で売っているので、ぜひ手に取ってみて欲しい。
おススメである。「南の島に雪が降る」(ちくま文庫)

(2015年9月)


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