石の2 衣服の大革命…木綿(もめん)


木綿1 ぼくは竹細工を見る度に、その技をたいしたもんだと思っていたが、
考えてみると、衣服というのは植物から、もっと細かい繊維を取り出して
糸にして編んだものだから、もっと緻密で、すごいものである。
絹布というのは、紀元前からあったというが、こちらは昆虫の蚕の糸から、
布に織ったというから、発想は天才的だと思う。
しかし、絹布は高価だったので、上流階級のものだった。では庶民は何を
着ていたかというと、麻の繊維で織った麻布である。こちらは植物であり、
今でも夏用の和服着物として残っているが、繊維が荒く、ゴワゴワしていて
冬には、さぞ寒かっただろうと思われる。

木綿布も起源は絹の頃と変わりないが、世界的に出回ったのは中世以降
であり、日本にも中国から輸入されていたが、絹と同じように、たいへん
高価なものであった。その栽培はなかなか難しく、寒冷地では特にそうで、
日本で成功したのが、やっと戦国時代の関西であり、その布が庶民に
出回るのが江戸時代初期だった。それが江戸の庶民文化にとって
大革命をもたらしたのである。

何よりその柔らかい肌触りである。麻はガサガサし、絹は冷たい感じが
するが、木綿は肌にしっとりなじんで、しかも、丈夫であった。
洗うにも、それまでの麻は、繊維が固くてもろいので、水につけて足で
踏むか、棒で叩いて洗うしかなかったのだが、木綿は丈夫で柔らかい
ので、たらいに汲んだ水でジャブジャブと揉み洗いが出来た。
しかも、吸湿性があり渇きが速い。しかも保温性があり、後に、木綿布
の中に木綿そのものを詰めることにより、より保温性のあるドテラや、
木綿2 掛け布団を生み出すことになる。

さらに糸を染めて織るしかなかった麻布と違って、絹のように白い布地に
色を自由に染めることが出来た。それゆえに、様々な文様を型染め出来る
ようになった。つまり、プリント染色が出来るのである。
そのために遊び心が生まれ、人々はいろんなパターンのデザインを嬉々
として生み出した。人々の心に一気にオシャレ心が芽生えたのである。
そして、その色彩とデザインの自由さと共に、人々を魅了したのが、
その柔らかい弾力性によって生まれる、女性の腰や肩の曲線美だった。

平安時代の貴族女性は、十二単(ひとえ)が代表的なように、小袖の
上にあらゆる色の重ね着をして、それによって美を競っていたが、
やがて時代を経るに従い、重ね着が簡略化されるようになり、元々は
下着だった小袖が表着になり、江戸時代には上流も庶民も小袖になり、
それが木綿布で作られるようになると、上も下もなく女性が一気に
色っぽくなり、ファッションを楽しめるようになった。
今でいえば、ドレスの豪華さで美を誇っていたのが、Tシャツとジーンズで
女性の美しさを表現できるようになったということだ。そのために、
元禄時代の下町には、あちこちの饅頭屋や茶店で、「○○小町」と
呼ばれるアイドル娘が誕生し、浮世絵にも描かれるようになった。
美が庶民にまで降りてきたのである。

江戸娘のファッションについては、次の回に書くことにして、
ここでは木綿布のその後について書く。
木綿布が普及したといっても、最初は反物として売られていた。
それを買うのはお金持ちの武家や町民である。様々な染め模様の
反物を買って着物に仕立てて着る。それが古くなると、古着屋というのが
金持ちを回り、古着として買う。それを売るのが古着屋であり、それを
買うのが庶民であった。江戸には古着屋の店がたくさんあり、繁盛した。
庶民はやっとそこで木綿布にありつけるのである。
そして、庶民が着回してボロボロになると、それをまた買いにくる商人
がいた。彼らはその着物を切り刻んで、端切れにしてまた売るのである。
それも「端切れ屋」として商売が成り立っていた。農民や下層の庶民は、
それをパッチワークのようにして衣服にして着ている人々が多かった。
その着物がまたボロボロになると、今度は赤ん坊のオムツにし、それも
ボロボロになると今度は雑巾にし、最後は燃やして灰にする。これも、
灰を買いにくる商いがあり、洗濯に使ったり、畑の肥料にするのである。
木綿3 江戸は究極のリサイクル社会だったのだ。

そして、木綿織物の工業は世界史をも変えてしまっている。
なにしろイギリスがインドを植民地にしたのは、インドの安い労働力で
木綿を栽培し、イギリスの繊維工場で布を織り、世界中に売ろうとした
のである。アメリカは南部で木綿を栽培し、そのための安い労働力として
アフリカから黒人を奴隷として輸入した。欧米は帆船で七つの海を
自由に行き来したが、そのためには木綿で作った丈夫な帆が必要だった。
そして、世界を工業化したのは布を織るという紡績工業が最初だった。
日本の明治時代の殖産興業を支えたのも、紡績産業であり、
戦後日本の工業化をけん引した自動車のトヨタも、元を辿れば
愛知県で、織物の織機機械を工夫した豊田佐吉が創始者である。

とにかく、植物の繊維や、昆虫の蚕から、糸を紡ぎ出して、それを
さらに縦と横に組んで布にするという事を考えた人間の知性というのは
すごいとぼくは単純に思うのである。例えば、無人島に人が漂着した
場合、水と食料の確保と同時に、衣服を作ろうとすぐ思うはずである。
いろんな素材を試してみて、やがて木綿を得た人類はとても
うれしかったに違いない。
(2915年5月)

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