石の2 九州の夏、福岡の海

夏1 福岡にはぼくが33歳から44歳まで、夫婦で11年間住んだのだが、
ぼくは四季の中で夏が一番好きなので、やはり九州の夏は最高だった。
仙台と違って、とにかく暑い。町中を歩いていると、頭がボーっとして、
何も考えられないようになる。そういう時に、港の近くを通ると、ああ
飛び込んで泳ぎたいという誘惑にかられたりすることも多かった。

ある夏、ぼくは出来たばかりの福岡ドーム前の人工海浜で潮干狩りを
していた。ここは博多湾内の、昔は百道浜(ももちはま)という遠浅だった
海浜であり、それを埋め立てた場所なのである。もともと、アサリが多か
ったので、人口海浜にしてもすぐに、アサリが獲れた。しかし、そのこと
を知る人は少なかった。ただし、腰まで海に浸からなければ獲れないので、
ぼくはあらかじめ短パンの下に海パンを履いてきて、それで短パンを砂の
上に脱いで海水に浸っていた。帰る時には、水着のまま少し砂浜で日光浴
をすれば、すぐに乾くし、そのまま短パンを履いて帰ればいいのである。

こんな人工海浜で遊んでいる人はまばらだったが、その晴天の人口海浜に
3人の制服姿の女子高生が自転車でやって来たのが見えた。
彼女らは、しばらく砂浜に座って、おしゃべりをしていたが、ふと気づくと、
なんと海の中に入って遊んでいるのだ。しかも、制服姿のままである。
泳いでいるようにも見えたが、笑い叫んでいる。しばらくすると
上がってきて、濡れた制服姿のまま、自転車に乗って帰っていった。
多分、大胆な思い付きだったと思うのだが、博多の青春なのだろう。

その後、ぼくは人から譲ってもらった中古のボロい50CCのバイクで、
母と妹が住む長崎まで、福岡から走ったことがある。途中、どしゃぶりの
雨にあって、それでも走り続けて、ずぶ濡れになったのであるが、その雨は
夏2 南国特有のスコールのようなものであり、すぐにカンカン照りの快晴になり、
その中を走っていると、30分も経たないうちに、パンツまで乾いてしまった。
やはりこれが九州なんだと思った。

やがて、長崎県に入って有名な西海橋を渡った先、バスが通る海岸通り
ではなくて、半島の稜線を通る道路を走ったのだが、これが、車も少なくて
快適な道だった。途中、見晴らしの良い場所でバイクを止め、エンジンを
切ると、クマゼミのジャージャーという爆音がものすごかった。快晴の青空
の中、田舎道のど真ん中で水平線を見下ろして、人一人もいず、ただただ、
クマゼミの鳴き声に囲まれていた。思い返しても、これほどの歓喜を感じた
ことはない。何を感じたかというと、静寂なのだ。
西洋人はセミの鳴き声を騒音と思うというから、これだけは日本人でしか
わからないだろうなあと思う。

そして、母の住む長崎の団地まで辿り付き、駐輪場に置いたバイクを見せて、
これでまた長崎から福岡まで帰るんだと言ったら、近所のおじさんが
「それは無理だ」と言った。それほどポンコツに見えたのだ。しかし、ぼくは
そのバイクに「流星号」という名前をつけていた。
(2017年6月)

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