石の2 新潟へのバスツアーで知ったこと


新潟1 仙台からの日帰りバスツアーというと、北は青森、南は東京、
ギリギリ鎌倉まで。そして、日本海側へは新潟くらいだろう。
ただ、新潟へのバスツアーというのは少ない。なにしろ、
観光名所がない。例えば、九州から「新潟へ観光に行こう」と
思う人は、ほとんどいないだろう。仙台からのバスツアーでぼくらが
行ったのは、笹川流れという海辺の景色と、紅葉の弥彦神社くらいだ。
そして、その時に感じたのは、新潟というのはなんと、だだっ広い
平地なのかということである。海と島と半島ばかりのデコボコの
景色の長崎で育ったぼくにとっては、行けども行けども、
山のない土地というのは、不思議な風景なのである。

ここら辺は元々、長野県の山岳地帯から流れてくる、信濃川と
阿賀野川という有数の大河が、上流から運ばれてくる土砂でもって
河口の周りを埋めて、砂地が規模を拡げた大湿地帯だったという。
そのために、沼や潟がたいへん多い。昔の遠浅の海水浴場を知って
いる人はわかると思うが、引き潮になると、泳げる場所までは延々と
歩かなければならない。その途中には、あちこちに窪みがあり、
それを潮だまりと言い、小さい子供にはけっこう危険であった。
新潟県というのは、その遠浅が遥かな規模で淡水域になり、
そのまま、農地にしていったようなものだという。

もちろん、そこを領土とした藩主達は、延々と、土木工事をしなければ
ならなかったし、それでも幕末の戊辰戦争の時に、官軍が長岡城を
新潟3 攻めた時には、周囲が湿地ばかりなので、閉口したという。なにしろ、
当時の新潟の農民は、田んぼにしても、肩まで水につかって土を
いじくることが多く、交通といえば、縦横に水路を作り、小舟で往来した
という。それでも、それなりに米どころになることに成功したのである。

そのために、新潟県には農民人口が増えていった。
明治22年頃には、全国の都道府県で一番人口が多かったのが
なんと、新潟県なのである。当時の日本の総人口は4000万人くらいだが、
都市としては、東京都が140万人で一番多く、大阪、京都、名古屋などが
続くのだが、当時の地方都市というのは、九州では、一番が鹿児島市、
二番が長崎市、三番目が福岡市だったが、驚くのはその三都市とも、
人口はせいぜい5万人である。5万人といえば、今では、そこらの地方の
港町クラスである。要するに、当時は農業人口が9割を占めていて、
都市に人口が集中するようになる以前であり、田舎にまんべんなく
人が住んでいたのである。だから、新潟でも、新潟市自体の人口は
5万人くらいだが、県としての人口は多かったのである。

そして、新潟といえば、現在ではコシヒカリの産地として有名であり、
特に魚沼産のコシヒカリといえば、超一級品のブランド米である。
コシヒカリというのは元々、福井県で生まれた品種だが、今では
すっかり、新潟のおいしい米と認知されている。そして、それゆえに
人気のおつまみとなったのが「柿の種」である。新潟県の道の駅に
入ると、どこでも元祖・柿の種として、浪花屋製菓のものが青い缶入りで
新潟2 ずらーっと並んでいる。ラジオで地元放送局のトークを聞いていたら、
「東京の友達がこっちにきて、柿の種を食べて、やっぱり本場は
おいしいわねえと感激していました」という話が流されていた。

そして、長崎人からみて、新潟のここだけは素晴らしいと思うところは、
日本海に夕日が沈むということである。ぼくにとって、水平線に夕日が
沈む風景というのは、とても大切な郷愁なのである。それは日本海でしか
味わえない。そのため、新潟の海岸には、夕陽の名所がとても多い。
新潟市内には、「朱鷺メッセ」の31階展望台とか、「萬代橋サンセットカフェ」
などの素晴らしい夕陽を楽しめる施設があって、写真で見ると実に素晴らしい。
都市景観まで含んで広大な夕焼けなのである。これはすごい!

そして、新潟といえばもうひとつ、現人口8万人の燕(つばめ)市というのが、
ナイフ、フォークなどの生産で世界的にも知られているという。これは、
テレビの人気番組「和風総本家」を見ていると、優れたメイド・イン・ジャパン
の職人の話として、やたらと出てくるので、すっかり覚えてしまった。そのため
バスツアーで新潟に行った時、燕市という看板を見つけると、「あ、ほらほら、
燕市だよ!」「ほんとだ燕市だ!」と二人して、はしゃいでしまったのである。
(2015年10月)


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