石の2 新潟、その2


新潟21 前回、明治中頃の日本の都道府県で、人口が最も多かったのが
新潟県だと紹介したが、すぐ後に別の本を読んでいたら、当時の
お金持ちのリストというのがあり、もちろん、三井、三菱系などの
豪商や、政治家もいるが、各地方に大地主が多く、その中では
新潟県が圧倒的に多いのである。それはなぜか?

実は、明治維新と共に「地租改正」というのが行われたからだ。
それまで、江戸時代の農民は租税として、現物の米を村単位で
集め、庄屋がまとめて藩に納入していた。そういう場合、個人と
いうのは必ずしも厳密ではなく、ある農家の収穫が少なくなると、
他の誰かが補うという互助組織の働きもあり、土木作業には一体
になって当たり、土地の貸し借りも自由だった。米の他にも、野菜を
栽培し、果樹を植えたり、養蚕をする農家もあり、耕作は自由だった。
だから、江戸時代の農民は必ずしも悲惨ではなかったという。なにしろ、
農民ですら、文字を読めるような教育を受ける余裕があったのである。

ところが、明治政府になると、300年ぶりの検地が行われ、
土地の個人所有権を認める代わりに、税を個別に現金で納めろ
ということになったのである。すると、どういうことが起きるかというと、
農民の間に経済格差がはっきりと生まれるようになった。そして、
いったん冷害でも起きると、貧しい農民は税金を払うためには、
裕福な農民に自分の土地を売るしかない。それによって、各地に
大地主がぞくぞくと誕生したのである。
新潟は農民人口が多かった分、それが激しくなったというわけだ。
江戸時代、各地には、隠れ田畑というのも多かったというが、
新潟というのはわかり易い平地なので、検地もしやすかっただろう。

土地を売った農民は、売った先の小作農となって、小作料を払い、
田畑を耕し、その収穫からまた税金を払わなければならない。もし、
新潟22 また冷害でもあると、もう娘を売るしかなかった。それが「おしん」の
一家の境遇である。おしんは、裕福な家に子守奉公するようになり、
おしんの姉は紡績工場の女工になった。女工哀史という言葉が残っ
ているように、過酷な労働だったという。

そして、明治政府にとっても、紡績工業に携わる女工というのは、
安い労働力として必要だった。なにしろ、明治時代の日本の経済を
支えた輸出品のほとんどは紡績品だったからだ。
当時の日本が西洋の植民地にされないためには、富国強兵しなけ
ればならず、紡績品を売って軍艦や機械を買うしかなかった。
おかげで、日清、日露戦争に勝利して、日本国自体は、列強の
一角になったが、一般農民の生活は苦しくなるばかりだった。

そういう中で、昭和初期に起こったのが、五・一五事件であり、
二・二六事件という青年将校によるクーデターだった。彼らは
「東北の農家では娘を売らなければ生活していけいないくらいに
苦しんでいるのに、政界は腐敗し、大金持ちばかりが儲けている、
そういう世を正すためだ」というものだった。それは失敗したが、
世の中には彼らに同情する国民や軍人も多かった。
それが軍部の大陸進出を促すのである。

一方で、農工省の中にも、農民の不満は当然だとして、
大地主の農地を、小作農に売って、自作農を増やしてはどうか
という提案があった。しかし、それは当然ながら、お金持ち層に
よって反対された。それが突然、よろしいとなったのが敗戦直後で
ある。占領軍のGHQは、日本の軍国主義を後押したのは財閥や、
大地主だと考えていたので、すぐに財閥解体と「農地改革」をやった。
大地主の土地を政府が無理矢理、買い上げて、小作農に安く売ると
いうのである。政府がGHQの命令ということにしてやったと言われて
いる。そして、戦後のものすごいインフレのために、大地主がもらった
紙幣は紙くずになったという。昔の大地主が「土地をタダ同然で
奪われた」と苦笑いで言うのは、そのせいである。

ただ、日本政府にとっても、アメリカにとっても、農地改革をやらなけれ
新潟23 ばならない理由があった。それは共産主義に対する恐怖である。
農民の多くが貧農のままである場合、共産主義者がやってきて、
「みんなが平等な配分を受けられる社会を作ろう」とささやかれると、
本当に革命が起きかねない。それを恐れていたのだ。
だから、農地改革が行われ、自作農がたくさん生まれたのだが、
それだけでは、農民にも能力の差があるので、いつまた、土地を
売ってしまうかもしれない。そこで戦後、政府が作ったのが農協という
互助組織であり、政府も補助金で援助したのである。いわば、
江戸時代への先祖返りだった。

つまり、ここで得られる結論は、意外なことだ。それは、日本の農民
にとって、一番過酷な時代だったのは、江戸時代ではなくて、
明治維新から昭和の敗戦までの72年間ではなかったのか、
ということなのだ。戦後、農家は再び、保護されたのである。

それが今また、TPPへの参加により、再び競争社会になろうと
している。第2の黒船と言われる由縁だ。
新潟から、ここまで話が発展してしまった。
(2015年10月)

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