石の2 新宿西口「しょんべん横丁」


西口1 新宿・東口駅前から、JRのガード下をくぐって、西口に出たすぐの
ガード沿いに、戦後すぐの闇市の名残りである、小さな飲み屋や、
焼き鳥屋が窮屈そうに固まっている一帯がある。昭和40年代には
労働者や安サラリーマンが仕事の帰りに、一杯ひっかけて行くような
飲み屋街であり、当時は「しょんべん横丁」と呼ばれていた。多分、
酔ったサラリーマンがそこらで立小便をしたのであろう。当時はまだ
そういうことが多かった。タバコのポイ捨ても普通だった時代だ。

ぼくが大学の友人に連れられて、そこに初めて行ったのは昼間で、
いわゆる大衆食堂というのが一軒あり、ご飯はどんぶりで出て来て、
ショーケース内に、いろんな小皿料理が並んでいる。煮物、和え物、
焼き物、あるいは冷奴など、好きなのを自由に選べる。しかも一品一品
が安いのである。そういうシステムが初めてだったので、これは良いなと
喜んだ。友人も「安くて、たっぷり食べられる」というのだ。ところが、
これもいいな、これもいいなと選んでいって、ついでに味噌汁をつけると、
最後には結構な値段になるのである。ぼくは、あれ?と少し騙された感じ
になったが、しかしこれは自分の責任である。

その後、福岡を経て仙台にやってくると、平成の今も、仙台には「半田屋」
という同じシステムの「飯やチェーン」が存在していた。懐かしいなあと
行ってみると、実にきれいな店舗である。どの小皿も安かったが、驚いた
のはご飯の盛りである。並を頼むと、丼一杯盛られてくる。ウソ!と思った。
ぼくがせいぜい食べられる量は、ミニだった。それですら茶碗に盛り上げて
いる。それで80円。それにサンマの塩焼き190円と、豚汁120円で、
この歳には充分である。ただ、ぼくにとって残念だったのは、テーブルの
上に醤油や甘い中濃ソースは置いてあるが、ウスターソースがないのだ。
西日本人のぼくには、これでは目玉焼きも、魚のフライも食べられない。
ということで、足が遠のいてしまった。

その後、夫婦で仙台からの日帰りバスツアーで東京に行った時に、
西口2 わざわざ少し歩いて、しょんべん横丁まで行ってみた。というのは、
妻と初めて、お酒を飲んだ焼き鳥屋がここにあったのだ。大学生の頃、
塗料会社の製品の値段シールをスーパーで張り替えるという、6日間
のアルバイトをして、その打ち上げで、社員の男性に連れられて来て、
飲み会をしたのがここだった。つまり、それがぼく達夫婦の初めての
出会いだったのだ。どうなっているかなと、行ってみると、まだあった!
ただ、「思い出横丁」という看板が入り口に掲げられていた。

もちろん、当時、「しょんべん横丁」という看板があったわけではなく、
何の看板もなくそう呼ばれていたに過ぎないのだが、それが今では、
当時そのままの狭い通りと、小さな飲み屋が、同じ規模で営業していて、
その入り口に「思い出横丁」という看板が掲げられている。昼間行った
ので、ほとんど営業していなかったが、そのままの横丁が残されている
のには驚いた。多分、昭和の匂いを嗅ぎに来る人が多いのだろう。
仙台でいえば「いろは横丁」が似ているし、長崎ならば思案橋近辺に
そういう風情の小さな飲み屋はいくらでもある。ただ、昔と違うのは、
電信柱に立ちションするオヤジがいなくなった代わりに、従業員に、
在住外国人の影が増えたということだろうか。
(2016年2月)

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