石の2 鶏をつぶす

にわとり1 ぼくら夫婦が好きで毎週見ているテレビ番組に、「プレバト!」という、
芸能人がいろんな技を競うのがある。その中で、俳句を作って、先生から
ボロクソに言われるコーナーが大変おもしろい。解説が理にかなっている
ので頷けるのだ。作品によって、毎回、芸能人達は先生からランク付け
されて、才能無し、凡人、才能ありになるのだが、才能ありが続くと、特待生
になり、特待生を6段上がると、名人になり名人も6段階ある。現在、その
名人にまでなっているのが、梅沢富美男、東国原英夫と、お笑い芸人の
フジモンだ。各人、個性があるが、先週の「お盆の渋滞」をテーマにした
東国原の句には感心した。「鎌で切る 鶏の首 盆支度」である。これで
ワンランク昇格した。もしこれが、「盆支度 鶏の首 鎌で切る」ならば、
とても残酷になるが、順序によって、昔の情緒が生まれている。

昔、田舎では庭で鶏を飼っている家が多く、お盆に、じいちゃんばあちゃんの
家に泊まりに行くと、明け方に近所のどこからか、ニワトリの「コケコッコー」と
いう朝を知らせる鳴き声をよく聞いたものである。それが田舎だった。
そして、お盆にみんなが集まるとなると、ご馳走をするために、「鶏をつぶす」
のが恒例だった。この言葉は現在では、ほとんど使われなくなったが、それは
鶏を飼っている家がほとんどなくなったからである。今では、鶏肉の料理を
しようと思えば、スーパーに買いに行くだけだが 昔はじいちゃんばあちゃん
が自分の手で鶏を殺して処理してくれたのだ。

どうするかというと、鶏の喉に刃を入れて、まず血を抜くのである。
それから、お湯に入れて羽根をむしる。それでやっと、スーパーで売っている
ようなピンクの生の鶏肉になる。昔の田舎の大人は、それくらいできるのが
当たり前だったので、「鎌で切る 鶏の首 盆支度」という句が、残酷では
なく、親戚が集まった宴席を思わせる、ほのぼのとした句になるのである。

しかし考えてみれば、我々が食べる牛肉や豚肉も同じ処理をしているのだ。
そちらは図体が大きいので、家庭では出来ないので、専門業者がやっている
にわとり2 に過ぎない。しかし、牛や豚の食肉解体業者の仕事現場を、テレビなどで
紹介するのを観たことがあるだろうか?まず、あり得ないはずだ。あまりに
残酷過ぎるからだ。しかし、実際にはそういう仕事に従事する人々が実際に
いるのである。そうでなければ、ぼくらは牛肉も豚肉も食べられない。

しかし、そういう屠殺(とさつ)に関わった人が、平安時代の公家の人達から
汚らわしい(けがわらしい)ということになって、遠ざけられたのが、部落差別
の始まりである。だから今でも、部落差別のひどいのは京都を中心の関西
地方であり、縄文文化だった東北にはそういうのは薄い。もちろん、日本では
仏教思想により、平安時代から肉食が禁じられたわけだが、実際には、農耕
に使う馬と牛を禁じただけで、鳥や野生獣は普通に食べられていた。そして、
どう処理すれば肉をおいしく食べられるかの技術も、受け継がれてきたのだ。

子供にはあくまで、牛肉も豚肉も誰かが殺してくれて、食肉に解体する役割
の職業がいるということは語っていた方がいいと思う。そして、そういう人が
必要なのに、そういう人達が昔は差別されていたということも教えるべきだ。
最近の子供の中には、魚の切り身がそのままで、海に泳いでいると思って
いる子もいるという話をテレビで聞くこともあるが、それはあまりにも極端な
話で、普通にアウトドアなどをやっていれば、そういう子供はいないだろう。
でも、昔は田舎で普通に鶏を「つぶして」いたんだよ、くらいは教えた方が
いいんじゃないかと思う。
(2017年9月)

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