石の2 穏やかな日本人と、危険を求める白人…その1


おだやか1 2006年に、イギリスの科学者が「ネイチャー」という科学誌に
「日本人には、冒険するDNAが欠如している」という学説を
発表したことがある。余計なお世話である。
日本のマスコミが、わざわざ取り上げて報道したのだが、
そんな民族性の違いなどは、とっくにわかっていることである。

だいたい、ギネスへの挑戦をみてもそうだ。
ヨーロッパ白人の挑戦は、車を並べて何台飛び越せるだとか、
崖の上での綱渡りだとか、やたら、命を賭けた挑戦が多い。
失敗したら死ぬようなことを平気でやる。それに比べて、
日本の場合は、海苔巻きの長さ世界一だとか、縄跳びの人数
世界一だとか、のどかなものが多い。

どうしてかというと、日本が大昔から、とても平和でのんびりした
社会であったからだ。日本の縄文時代や、弥生時代の遺跡で
発掘された人骨には、戦いで殺されたようなものが、大陸の遺跡
に比べるととても少ないという。なにしろ日本は和の国である。
建国神話には「国譲り」という話もある。征服王朝がやってきた時、
それまでの土着の王朝は争いを避けて、自分達を出雲に祀る
ことを条件に権力を譲ってしまったのである。それから2000年、
日本人は伊勢神宮も、出雲大社も同じように参拝している。

おだやか2 これが大陸になると、どうだろう?例えば旧約聖書である。
モーゼはユダヤ民族を連れてエジプトを脱出するのだが、
ユダヤの神は、私を唯一の神と信じるならば、シナイ山の向こう
に土地を与えると約束する。彼らが同意して約束の土地に行って
みると土着民がいる。彼らをどうすればいいかというと、彼らを
皆殺しにしても良いというのである。そういうのが、ユダヤ教や
キリスト教の神の性格である。普通の日本人ならば、そういう事
を言うものを神とは認めないだろう。

しかも、大陸と日本の歴史を比べてみると、この「皆殺し」のスケール
が大陸では実にデッカイ。日本でも戦さがあると、それなりに殺戮は
発生したが、日本の場合なぞかわいいもんである。日本では最大で
も数千人くらいだったが、大陸では数万、数十万、あるいは百万人
単位の規模で殺しまくるのである。
どうしてそうなるかというと、やはり相手が異民族であり、宗教が
違うということが大きい。つまり、何かしら人間以下と見てしまう。
だから殺すのに容赦がない。スペイン人やポルトガル人が南米で
先住民族をほぼ抹殺してしまったのも、アメリカ人がインディアンを
抹殺したのも、白人各国がアフリカで黒人を奴隷貿易したのも、
おだやか3 彼らを人間以下とみなしたからである。

その前に、最初の大量虐殺は、中央アジアに住んでいた遊牧民が、
気候変動で食料が少なくなり、大移動して、農耕民族の国々を
次々に襲って皆殺しにしたということから始まる。
古くは4世紀の、アジア系のフン族のヨーロッパへの侵攻である。
東方からやってきてヨーロッパ中を蹂躙し、貯えを奪い、住民を
殺しまくった。遊牧民族というのは家畜を屠殺して主食にするのが
日常であるから、殺戮に関しては元々慣れていて荒っぽいのである。
そして、人の物を奪うということに、何の罪悪観もなかったようだ。

東ヨーロッパに住んでいた白人のゲルマン人達はたまらずに、西に
逃げる。これが「ゲルマン民族の大移動」になり、スペインでは、
西ゴート王国を作り、イタリアでは東ゴート王国を作った。そのせいで
衰えかけていたローマ帝国が崩壊してしまった。
当時の未開ヨーロッパでは、子供が泣くと親が「泣いているとフン人
が来るよ」と言う。すると子供がピタッと泣くのを止めたという。
このフン族は中央アジアにいた「匈奴」とも言われている。つまり、
中国の漢民族も彼らの侵入を怖れ、万里の長城を築いたのだ。

おだやか4 その後、9世紀になると、今度はスカンジナビア半島を拠点としていた
白人のノルマン人が、海賊のバイキングとして、ヨーロッパの沿岸を
略奪しまくった。こちらの民族は白人なのだが、寒い国に住んでいて、
穀物が育つ国ではなかったので、他国を襲うしかなかった。
映画の「バイキング」を観てもらえばわかるが、とにかく荒っぽい。
その子孫が現在のイギリスやフランスやデンマークなどの王家と
なっているのである。
そして、13世紀になると、今度はまた東方からジンギスカンに率いら
れたモンゴル帝国がやってきてヨーロッパ中を荒らし回った。
モンゴルは東でも、中国を征服して「元」王朝を作った。
このようにユーラシア大陸というのは、遊牧民族や、海賊による農耕
民族に対する強奪の繰り返しであり、虐殺の歴史なのである。

そのため、農耕民族は防御のために、都市を塀で囲うようになった。
ユーラシア大陸では、西のヨーロッパから東の中国まで、都市という
都市は全て、広大な石造りの城塞に囲まれるようになったのである。
農村はその外にあるが、権力者と都市住民は、みんな城塞の中で
暮らし、入口には兵隊を置いて、出入りを厳しくチェックした。
城塞の中では、貯えを多くして、何万人が暮らしていたのである。
ただ、一端、打ち破られると、住民は全員、皆殺しにされた。

おだやか6 一方の日本では城塞都市というのは全く存在しない。
平安京でも、江戸でも、町の境界はあいまいであり、林や藪と接して
消えている。もし、異民族が攻めてきたら、簡単に京都は焼き払われ、
天皇は殺されるだろう。大陸人が見たとしたら、驚く程の無防備である。
しかし、日本では、異民族による皆殺しの心配が全くなかった。
武家の争いは度々あり、農民は家を焼かれることはあったが、やれ
ここぞとばかりにオニギリを作って、みんなで山に逃れて、武士の
戦さを高見から見物していたという。

その後、江戸時代になって、徳川幕府は鎖国政策を取ると同時に、
鉄砲の工夫を禁止した。戦国時代には、鉄砲保有数が世界一に
なっていたので、そのまま工夫をすれば、日本が最先端の銃器を
作っていたかもしれないのに、幕府は禁止したのである。
その目的はあくまで平和な国を作るためである。こういう国は
とても珍しいだろう。それから江戸時代は300年間の平和を築くわけ
だが、この幕府は、西洋の王朝のように、富を貯めるのでもなく、
贅沢を極めるのでもなく、ただただ300年間、平和を維持すること
だけを目的にした。世界史的に見ても不思議な国なのである。
……その2に続く。


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