石の2 沖縄への旅行

沖縄2 仙台から2泊3日のツアー旅行で沖縄行ってきた。初めての沖縄である。
大阪の伊丹空港で飛行機を乗り換える。九州を過ぎる頃になると、南北
にいろんな島が見えてくる。着陸のために高度が低くなると海の色が違う。
やはり南国である。那覇空港は思ったより大きな空港で、賑やかだった。
気温34℃。湿度70%。ハワイと違って、ジメジメしている。

一泊目は恩名村の「ルネッサンス・リゾート・オキナワ」。ここはよかった。
リゾート気分が味わえる、プライベートビーチを持ったホテルだった。
海に沈む夕陽は実に素晴らしい。
2日目は有名な「美ら海水族館」、ビーチがきれいな「小宇利島」などを
巡る。バスで走っていると、日本の田舎の風景とは全く違うことを感じる。
まず、水田風景がない。沖縄の基本的な作物は、サトウキビである。
それで砂糖を生産し、輸出して生計を支えてきた。
そして木造家屋がない。ほとんどの家屋がコンクリート製の2階建てである。
沖縄は昔から台風銀座という呼ばれ方をしていたほど、台風の通り道で
あり、昔の木造の家屋であった頃は被害がすさまじかったので、近代に
なって、家屋はほとんどコンクリート造りになってしまったのだ。だから、
田舎の風景が、日本本土とはまるっきり違うのだ。

そして、道端の風景でおもしろかったのが、墓場のことである。
沖縄では、それぞれの墓がとても大きくて広い。なにしろ、毎年、
家族が故人を偲んで墓の前に集まり、料理を食べお酒を飲んで
盛大にお祭りをするというのだ。そのために、墓の前には広場を
設けるようになっている。石造りの屋根を設けているところもある。
やはり文化が中国に影響を受けているのだろう。なにしろ、長崎でも
沖縄1 お盆の時には夜に、墓の前で盛大に花火をするのである。

沖縄は昔、「琉球」と言われたが、日本と中国の両方と交流しながら
貿易をして、どちらにも属するという難しい立場を維持しながら、
かろうじて独立を維持している弱い国だったのだ。それが、
幕末に薩摩藩によって強引に配下に組み込まれてしまったという
歴史がある。それによって日本国になったのだが、その文化や言葉
は内地とはまるで違うものを持っている。

2日目の夜は、那覇港を見下ろすホテルだったので、一番の繁華街
である「国際通り」に出かけた。ここは民謡酒場やら、みやげ物屋の
あらゆる店がそろっており、実ににぎやかで、中国人や韓国人や、
ベトナム、タイ、フィリピンなどのアジア系の観光客であふれていた。
東南アジア系がわかりやすいのは、最近の流行なのか、みんな
大きめのサングラスをしていて、女性の下半身のタイツがみんな
パッツンパッツンなのである。国際通りの夜は、そういう若い男女が
熱い青春の真っただ中にいるという感じだった。みやげ物も、日本
の古い街の由緒正しいものではなくて、とにかく驚かせてナンボ
みたいなものばかりだった。とにかく派手。

沖縄3 3日目には沖縄王朝の王宮である「首里城」を見学した。
入り口にある守礼門というのが有名なのだが、それを初めて見た時、
失礼ながら「えっ?こんなに小さいの?」と思ってしまった。というのは
神戸や長崎の中華街の入り口にある門と、それほど違わないのである。
それに城とはいうが、日本の城郭の規模とはあまりに違いすぎる。
薩摩藩の軍隊がやって来た時にあっけなく占領されてしまったのは
しょうがないと思う。それに元々、武器を持たない国だったのである。
その物語はNHKの大河ドラマ「琉球の風」を観ればわかる。

ホテルの夕食の時、同じテーブルでおしゃべりをした年配の夫婦が
沖縄には何回も来ているというので、沖縄ではどこがいいですか?
と聞いてみた。「離島が最高です」という。石垣島とか宮古島などが
とても素晴らしいという。最近はテレビでも同じことを言っている。
どうも、観光産業にまみれた沖縄本島よりも、牧歌的な雰囲気が
残っている離島の方に人気が移っているようだ。しかし、沖縄は
南国である。そこに短パンとTシャツでいるだけで、うれしかった。
(2019年9月)

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