石の2 初めての大阪…その5

大阪5-1 バスツアーの最終日は大阪城見物である。なにしろ敷地が広いので
移動するのに、えらく歩かされた。ただ、この大阪城の位置が、大阪
平野においては特別なものであることはガイドさんも強調していたが、
ぼくはその前にNHKの「ブラタモリ」の大阪編で観てよく知っていた。

ここは湿地帯であった大阪平野において南からせり出した半島の先、
つまり高台になっている岬なのである。そこには最初、浄土宗の総本山
である本願寺があった。しかし、海はすぐ近くまで来ているし、川を少し
遡ればあらゆる物資が運べる抜群の好立地である。そこに目をつけた
織田信長が、本願寺にそこを立ち退けと要求したのである。

ところが、当時の浄土宗というのは、寺自体が僧兵という武力を持って
いる上に、全国の農民や武士層にまで熱心な信者を持ち、そのために
加賀一国などは、鎌倉時代からの領主を追い出して宗教的な独立国を
作るほどの力を持っていたのである。信長は、天下統一するためには
仏教勢力を徹底的に潰さねばならないと思った。そこで、まず最初に
堕落していて遊女も多かった比叡山延暦寺を攻めて殺しまくったし、
浄土宗の本願寺も執拗に攻めまくり、ついに落としたのである。
そのおかげで、その後の日本には宗教戦争というのが無くなった。
大阪5-2 最後の仕上げは、家康が仏教を葬式仏教にしてしまったのである。

信長亡き後、秀吉が大阪城を築いたが、秀吉も亡くなると、徳川家康が
豊臣家を滅ぼすべく大阪城を攻め、外交戦略で濠を埋められた大阪城
はついに陥落した。徳川家は燃え落ちた大阪城を踏み固め、その上に
土を盛って新たに大阪城を築いたのである。豊臣憎しである。

ホテルからツアーバスで大阪城へ行ったぼくらはすぐに、大阪城に登れ
るものと思っていたが、開場は9:00だったので、少し時間の間があった。
すると、バスガイドさんが「では、その先の石垣から市内を眺めましょ」と
皆を誘導して時間まで、いろいろ説明してくれた。石垣の上からは大阪の
市街がよく見える。「江戸時代の大阪は商売が栄えた町でした。それで
人口も増え、にぎやかになったのです。江戸に次ぐ大都会になったのです」
と自慢する。「ただ、当時の商売というのは、一番が布織物、そして次に
材木商でした」という。つまり当時の産業というのは、布織物商か材木商
しかなかったのである。現在の日本では、車や飛行機や船、また重化学
工業さらにはITなどがあるが、江戸時代までの日本はそれだけだった。
大阪5-3 あとは食べる物を作るだけであり、衣食住の基本を満たしており、それで
日本の社会は充分に幸福にやっていたのである。それがたった200年前
のことなのである。

さて9:00になるまでに入場料500円を払い、少し並んだが行列の最初
であり、エレベーターにも真っ先に乗れたので幸運だった。エレベーターは
5階までであり、その先の天守閣の8階までは急な階段を息を切らして登る。
そして、天守で外の回廊に出た時は感激だった。大阪の中心街が見渡せる。
昔のドラマでは、この天守で秀吉が御伽衆の曽呂利新左エ門などを伴って
遠眼鏡で城下を眺めまわすシーンなどが出てくるが、遊び好きの秀吉なら
そういうことをしていてもおかしくはない。そして、それがこの場所である。
大阪の歴史の中心にいる気分だった。大阪に来たかいがあった。
(2019年4月)

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