石の2 大塚美術館で思ったこと

大塚1 今、日本で最も人気がある美術館といえば、足立美術館と大塚美術館
だろう。足立美術館は島根県にあり、その日本庭園の美しさが完璧だと
言われている。特に中年以上の女性に人気があり、ここに行かなければ
死ねないと言われている。

そして、大塚美術館は、四国の徳島県鳴門市にあり、世界の名画を
陶板に印刷して原寸大で陳列してある。その量がすごくて、古代から
現代までの有名な絵画がほとんどあるので、館内を見て歩くだけで
4Kmもあり、まともに見ていると1日はかかる。そして、美術館として
は料金の高さでも日本一である。3780円。しかし、ぼくはそれだけ
の価値はあると思う。だからこそ、日本中から見物客が絶えないのだ。
美術館といえば、有名な画家の本物の作品を見られるから感動するの
が普通だと思っていたが、ここには別の感動がある。それは美術史の
全貌が見られるという感動である。そうか、人類はこういう風にして
絵の描き方を発展させてきたのだという感動である。

絵の歴史は、アルタミラの洞窟の壁画から始まって、エジプトの象徴的
な壁画、そして古代ギリシャ、古代ローマへと発展してゆくのだが、
彫刻はミロのビーナスに見られるように、既に完璧な作品群があるのに
比べ、平面に描く絵というのは、初期は意外に下手なのである。まるで
子供が描いたような壁画も多いのだ。つまり、彫刻のように個体を把握
する技術はすぐに発達したが、背景も含めて大きな空間を捕える絵画
の技法に関しては、多少の時間がかかったようなのだ。ローマ時代の
絵はほとんど残っていないが、ポンペイで発掘された絵にはそういう
大塚4 過渡期の時代の壁画が残っているのである。これがなかなかおもしろ
いのであり、美術の歴史においてはそういう時代が確かにあったのだと
いうことを教えてくれる。それがローマ時代の後期になると、影をつける
とか、遠くのものは小さく描くなどの遠近法などの技術が生まれ、絵が
立体的になってゆき、やがて、ほとんど写真のように描く技術が確立され
てゆく。

しかし中世においては、絵は教会の壁画に描かれるものであり、その
ほとんどがキリスト教の聖書の物語を民衆に教えるためであった。
しかし写真のように描く技術が発達すると、貴族の要請に応じて、その
肖像を板や画布に描いて提供するようになり、職業的画家が多く出る。
この頃から、個性的な絵を描く、人気のある画家の名前が出るように
なるが、そうなると、彼らの多くがしきりに描きたがったのが、裸婦像で
ある。なぜか?美しいからである。男性にとっては女性の裸が一番美し
いのである。しかし中世の頃はキリスト教の物語に関係づけなければ
それは描けなかった。しかし、ルネサンス時代の人間性復興と、印象派
の時代になると、普通の人間の裸婦を思い切り描けるようになったのだ。
めでたしめでたしである。

そういう風に、この大塚美術館ではいろんな絵画の歴史を発見すること
ができるので、絵に興味ある人にとっては、ほとんど一日を丸々費やす
ことになってしまうだろう。しかも、ここの絵は陶板によるレプリカなので
写真は撮り放題なのはもちろん、絵にも触れるのだ。ゴッホのひまわりの
絵がゴツゴツしているのは有名だが、その感触も味わうことができる。

大塚3 ぼくはこの美術館の前に、倉敷市の大原美術館に行ったのだが、
こちらでは、美術館の在り方が全く違っていた。大原美術館を作ったの
は、明治時代に倉敷市において貿易で財を成した大原一族の2代目だっ
た。彼は西洋絵画に興味を持ち、上野美術学校で優秀だった児島虎二郎
に援助を行い、パリに行く際も援助を惜しまなかった。しかしパリで印象派
の絵画を見て驚愕した児島は、日本の若手に最先端のヨーロッパの絵画
を見せなければダメだと大原に説いた。しかし誰もがパリに行けるわけが
ないし、その作品を写真で撮っても、当時は白黒である。そこで大原氏は
児島にパリで本物を買って来てもらって、それを日本の美術学生に見せ
ようとしたのが、大原美術館の始まりだった。だから、美術館の始まりの
本来の意義はもちろんこちらである。

しかし、現在は鮮明なカラー写真によって、世界中の美術品を画集で
眺めることが出来る。本物だけを少数展示している美術館には、本物
と対面するという感動はあるものの、そういう美術館は美術史の中の
ほんの一部の作品しか見れないのである。それに対していろんな絵画を
全く同じ大きさでレプリカで見せるという大塚美術館の発想は画期的だった。
ぼくはそういう美術館をずっと待っていたのである。
(2019年12月)

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