名古屋に2泊
石の2 名古屋に2泊

岐阜1 岐阜県の中山道の妻籠宿と馬籠宿を見た後、その日の宿は
名古屋に決定。名古屋は初めてで、あまり良く知らなかった。
ただ、愛知県は日本でいちばん運転が乱暴だということを聞い
ていたので少し怖れていた。なるほど、ウインカーもつけず
いきなり車線変更をする車がいるし、ありがとうのハザード
ランプのピコピコも少ないような気がする。仙台の方が運転は
確かに優しい感じがする。

とにかく、ここまで来ると県民性の違いがあるような気がする。
東北はおっとりしたような感じがあるが、こちらにくるといくぶん
せっかちな気がする。物事をさっさと済ませようとする気分が
あるようにも感じる。それをある意味では合理性という。
戦国時代、この地方から出た日本史の3代英傑が、織田信長、
豊臣秀吉、徳川家康である。それだけで、どうだ!と言っている
ようなもんである。3人とも歴史を変えた改革者である。
つまり、それまでのやり方を古臭くておかしいだろ!と切り捨て、
新しい合理的なやり方にきっぱりと変えたのである。その英断を
出来る人物を次々に生み出す土地である。見上げる感じがする。

名古屋の観光といえば、名古屋城と熱田神宮がメインだという。
岐阜3 最初に名古屋城に行ってみたが、ここは一体誰の城だろう?
なにしろ、信長といえば安土城であり、秀吉なら大阪城、家康
は江戸城である。調べてみたら、家康が天下を取った後に、
九男・義直のための居城として築城したのだという。それが
御三家のひとつ尾張藩となる。

そして、熱田神宮といえば、天皇の三種の神器のうちの草薙
(くさなぎ)の剣が安置されていることは知っていたが、実は織田
信長が桶狭間の戦いの前に、部下を集めて勝利の祈願をした
神社なのである。二万五千の今川軍に対して、三千人の織田軍
なので、気分としてはほとんど負け戦さである。だから、信長が
祈願した神社といっても田舎の小さな神社なのだろうとぼくは
勝手に思い込んでいたのだが、ところがなんと、名古屋市の中心
にある実に立派で有名な神社なのであった。意外だった。
そこから桶狭間までは15km。そこから今川軍の陣を奇襲して、
今川義元の首を取ったのである。

それにしても、桶狭間の戦いは奇襲で奇跡的に勝ったというが、
どんな風に奇跡的なのかを少し調べてみた。すると、味方の2つ
の砦を襲わせておいて、今川軍の戦力が分散するのを待ち、
義元の本軍が少なくなり、しかも戦勝に酔って宴会をしている
岐阜2 時を狙って、風雨に隠れて見つからないように回り道をして
一気に襲ったというのだ。そして、戦後の恩賞では、義元の首を
実際に打ち取った部下よりも、義元が少ない数で桶狭間で
くつろいでいるという情報をもたらした部下の方を褒めたたえたと
いうところに、信長という人間の革命的な性格を感じるのである。

今の名古屋にはもう一つ、観光の目玉がある。テレビ塔である。
繁華街の栄町の横にあるメインの通りにあるテレビ塔の広場
が有名である。妻は20年前に一度来た事があり、その当時
は、ただの芝生広場だったが、今回来てみてビックリしたのは、
テレビ塔の周囲にオシャレな店がたくさんあって、若者がコロナ
禍にもかかわらず、たくさんいたことだ。実は、そこは改装工事
のため。半年間封鎖されていたのが先月オープンしたのである。
多分、待ちに待っていた名古屋市民が殺到してたのだと思う。
ぼくらもテレビ塔の上のレストランでビールを飲みながら眺めた
のだが、やはり人が大勢群れている光景は楽しいものである。
人生にとっては密こそが、最高の娯楽なんだと思う。
(2020年10月)

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