石の2 平泳ぎで泳ごう


テレビのトークショーで、かとう・かずこが、
泳ぎ3 「実は泳げないんです」と話し、昔、クロールを
習ったんですが、どうしても息継ぎが出来なくて
それ以来、泳ぎを、あきらめました、と言っていた。

ああ、もったいないなあ、と思う。
ぼくは、この件に関しては、声高に言いたい!
クロールを習うな!」と。
水泳というのは、に海でおぼれないためにあり、
に、海を楽しむためにある。オプションとして、
泳ぎの速さを競うという楽しみ方もあるが、
クロールは、このオプションにしか過ぎない。

だから、覚える順序は、まず「立ち泳ぎ」、
次に「平泳ぎ」、しかも、顔を水につけない平泳ぎ
大事であって、そこまでいけば、クロールなんて、
教えられなくても、勝手についてくる。
イギリスなどでは、この順序でやっている。しかも、
溺れることの多い場合を想定して、授業の中で、
服を着たまま泳いでみる、というのもやる。
りっぱである。

ところが日本ではどうも、逆らしい。
競泳至上主義というか、速く泳ぐことばかりを教える。
何を考えているのか?と、机を叩きたい。
もっとゆっくり、楽しんで泳げよ、と言いたい。
わが妻も、そういう水泳教室の被害者で、
平泳ぎも、水に顔をつけてしか泳げない。
必死に25m泳いでは、ハアハアいっている。
だから、足のつく所でしか泳げない。
立ち泳ぎが出来ないのである。

その点、ぼくのオヤジの教え方は違った。
ボートでいきなり深い所へ連れてゆき、
「泳げ!」と叫んで、投げ落とすのである。
あまり感謝してるわけではないが、
必死に浮かび上がろうとするやり方は、
犬も人間も同じである。とにかく、本能のままに
手足をバタバタやる。犬かきとも言う。
それを人間がやると、自然に立ち泳ぎへと
洗練されてくるのである。

でも、ぼくが自由に泳げるようになったのは、
親父のおかげというよりは、長崎という
海に囲まれた環境のおかげである。
当時、長崎の子供達の多くは、夏になると、
「ねずみ島」という水泳教室に通っていた。
弁当を持って、ポンポン船に乗って、
夏休みの間、ほぼ毎日通う。

泳ぎ4 ただ、そこでは、泳ぎの指導は一切しない。
砂浜があり、沖にドラム缶に板を乗せて作った
浮き場があり、飛び込みができる堤防があり、
そこでは、どういう遊び方をしようと自由であり、
水泳の達人が監視所で見守っているだけ、
という独特のものだった。
時間も、何の規制もなく、楽しかった。

ただ、毎日、水泳の試験だけがある。
受けるかどうかは、個人の自由で、
受けたくなければ、水辺で遊んでいればいい。
試験はもっぱら、遠泳だった。どれだけ遠くまで
泳げるかに挑戦するのだ。速さではない。
距離をクリアする度に、位が上がる。
上に上がると水泳帽のマークが変わるので、
そのマークで、あの人は上級だとわかる。

小学校のクラスでは、同じ学年なのに、
ねずみ島では、上級だとわかると、
ものすごく大人に見えたもんだった。
泳ぎ方は、海で遊んでいるうちに自然に
身についた。深い所に、足から飛び込む
というのが一番楽しい。
すぐに堤防や階段にすがりつくのだが、
これが泳ぎを覚える一番の方法だと思う。

立ち泳ぎと、平泳ぎを覚えると、
自然に、疲れた時に海に浮いて休憩する方法
泳ぎ5 がわかってくる。仰向けに浮くのだ。
耳まで浸かるが、手足を伸ばして、
ただ、波間に浮いていればいい。
そのまま、ラッコのようにゆらゆらと手足を
揺らして進む方法も、すぐわかってくる。
そうすると、海はものすごく楽しいのだ。

水泳指導は、こうであって欲しい。
最初から、競泳を目的とする水泳指導法は、
とてもいびつな教育である。
クロールなんて教えるなと、ぼくは言いたい。
(2001年)

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