石の2 長崎でランタンフェスティバルに行く

ランタン1 一度は見てみたいと思っていた、長崎のランタン・フェスティバルに
ついに行ってきた。ぼくは長崎が故郷なのだが、子供の頃には
ランタン・フェスティバルというのはなかった。多分、中華街で細々と
やっていたのだろうが、市を挙げて大々的にやろうとなったのが
1994年のことである。それが年々規模を増していき、今や冬の
長崎のお祭りとして、すっかり定着し観光客を集めるようになった。
雪のない九州で、冬の祭りとしては大成功となったのである。
2020年の今年は1月25日から始まった。

元々、中国の正月である春節を祝う行事である。旧暦の正月なので、
日本の正月からは一ヶ月ほど遅れる。そして、中国人が幸福の象徴
とするのが赤い色なので、赤い提灯が町を埋め尽くすほどの飾りに
なる。さらにいろんな立体のおめでたい人形が飾られる。鯉や金魚、
羊や山羊、豚、どれも繁栄の象徴なのである。それらが街角の通りの
あちこちに飾られている。雨が降ったらどうなるのかと心配したが、
近寄って触ってみると、どの人形も布張りなのである。これならば
雨が降っても大丈夫。そして、どの飾りも芸術品としての造形度も
高い。青森ねぶたにも負けないんではないか。

ランタン2 点灯式が、中華街の湊公園広場で、午後6時にあるというので行った。
点灯のカウントダウンが始まって、点灯!となると、ランタンやあらゆる
飾り物に一斉に光が点いて歓声が上がり、それは素晴らしく、本当に
綺麗である。そこから浜町アーケードに歩いたが、こちらもランタンが
天井一面に並んでいて、その華麗さには恍惚となる。そこからすぐの
眼鏡橋の周辺にも飾りつけがたくさんあり、川面を照らしていた。
夜は中央橋の居酒屋「ひぐち」で、家族や友人とにぎやかに飲む。
ここは全国チェーンの居酒屋と違い、地元の新鮮な食材を出してくれる、
昔からの居酒屋であり、お薦めである。

次の日、長崎でぜひ行ってみたいと思っていた場所があり、行ってきた。
亀山社中である。坂本龍馬が作った日本最初の商社である。その跡と
再現家屋があるという。まず、長崎駅前から「風頭(かざがしら)山」行き
のバスに乗る。終点が山の上である。そこから「龍馬の道」が下っ
ていて、その途中に亀山社中はある。同じ道なら下るだけの方が
ずっと楽である。さらに、下る方が、いかにも坂の町である長崎の
地形がよく見える。くねくねとして狭い坂道と階段ばかりである。
よくもまあ、こういう道ばかりと感心するが、江戸時代からそのまま
の道が多く、そういうところを味わって欲しい。これが長崎なのだ。
下り終えた所が「寺町通り」である。その名の通り、寺が並んでいる。
この通りの情緒も絶品なのだが、もう少し先に「中町通り」というのが
あって、狭い通りなのだが、ここも魅力的である。両側に昔ながらの
八百屋、魚屋どころか菓子屋、骨董屋なども揃っていて、ここはぼくが
ランタン3 子供の頃、よく歩いたものだが、勝海舟や坂本龍馬も頻繁に歩いて
いた江戸時代からの通りなのである。長崎に来たならば、ぜひ歩いて
みて欲しい。ノスタルジーを感じるはずである。

それにしても、ぼくは東京の大学に入る前までの18年間、長崎に
住んでいたのに、なぜ亀山社中も「龍馬の道」にも行ってないのかと
思うかもしれないが、なにしろ、ぼくが坂本龍馬のことを初めて知った
のは大学生になってからである。だいたい、坂本龍馬が国民的ヒーロー
になったのは、司馬遼太郎が「竜馬がゆく」という小説を発表してから
後のことである。それが単行本になったのが1966年、それがNHK大河
ドラマになって、竜馬を北大路欣也が演じたのが1968年、そして、
全8巻で文庫本になったのが1974年。やっと、ぼくが社会人になった
頃である。初めて読んでみたら、おもしろいのなんの、夢中でむさぼり
読んでしまった。2歳上の武田鉄矢がハマってしまうのも無理はない。
こんな痛快な人間が幕末の頃にいたのかと驚いてしまった。さらに
勝海舟も素晴らしい。その勝海舟は長崎時代、我が家から歩いてすぐの
所にある本蓮寺に寄宿していたという。知らなかった。そこなら
中学のクラスメイトのおうちである。司馬さんがもうちょっと早く竜馬の
小説を書いててくれてたなら、高校生のぼくは、長崎をもっと興味深く
あちこち歩き回っていたのに違いなかったのだ。
(2020年2月)

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