石の2 昭和レトロ館


レトロ1 最近はあちこちの観光地に、「懐かしき昭和時代」の物品を展示したり、
再現した催しがさかんである。なにしろ、それを懐かしむぼくらの
世代が人口が一番多いのだから、流行って当たり前である。ただし、
若い子たちも、そういうレトロなものを新鮮と感じているようで、それは
それでおもしろい現象である。
先日、仙台から電車で1時間の観光地である松島に行った時、
みやげもの屋の二階に「松島レトロ館」というのを見つけたので
入ってみた。入場料300円で、昭和の懐かしい、生活用品や
おもちゃ、雑誌、映画のポスターなどを所狭しと置いてある。
ほおほお!と眺めるうちに夢中になり、けっこうな時間を楽しんで
しまった。主人が「みんな、手で触ってもらっていいですよ」
というのもよかった。おもちゃのピストルがあると握ってみたいし、
雑誌だってページをめくってみたい。
ベーゴマも実際に遊べるようになっていた。

しかし、ここでふと思ったのだが、実はあの鉄製のベーゴマというもの
は、長崎人には全く馴染みがないのである。ぼくは、東京に来て初め
て見たし、最初はどういう用途のものかわからなかった。それがコマ
レトロ2 だというのでびっくりした。
長崎にも伝統的に、正月を中心にコマ遊びはもちろんあったし、相手
のコマを弾き飛ばすという遊び方も同じである。だた、長崎のコマは
全て木製であり、形もずっと大きく、相手のコマを弾く場合ドスンという
感じである。
不思議に思って調べてみると、ぼくが長崎で馴染んでいたコマは、
「佐世保コマ」「島原コマ」という名前がついている。つまり、九州独自
のコマだったということになる。え!ほんと?うそでしょ?という感じ
だった。初めて知った。

さらに、そのレトロ館にあったメンコだが、みんな丸い形状である。
長崎では、丸いメンコというのはなかった。みんな、長方形である。
さらにさらに、メンコというのは東京の呼び方である。長崎では
カードと言ったし、妻に聞いてみると、東北ではパッタと言ったという。

レトロ3 さらに、ヤッコ凧が飾ってあったが、これも長崎では見たことがない。
長崎では、凧のことを「ハタ」と言う。そして形状は必ず四角である。
昔は正月に、出入りの酒屋や米屋がいつも一枚持ってきた。その
デザインの多くが、青、赤、白だった。これはオランダの国旗の色で
ある。徳川三百年間、鎖国をしていた日本が唯一交易していたのが、
オランダであり、それも長崎の出島に限られていた。出島の入口に
いつもはためいていたのがオランダ国旗であり、長崎の町民はそれ
を美しいと思い、また友好の気分もあって、それをそっくり凧のデザイ
ンにした。当然ながら、形状も四角になったというわけだ。

長崎での「ハタ上げ」の名所は、風頭山の山頂であり、正月になると
市民こぞって風頭山に登り、ハタを上げたのである。ぼくも子供の頃、
父についていって、タコ糸を持たせてもらったが、その張力が強いの
にびっくりした。下手をすると指の肌がこすれてヤケドしかねない。
常に引っ張り上げていなければならないし、それに力がいるのである。
小学生にとっては恐ろしい力だった。しかし、大人にとっては、ただ、
揚げるだけではつまらないから、紐にガラスの粉末を塗って、お互い
の紐をからませて切り合うという遊びが始まった。切った方が勝ち。
切られた方のハタは、行方も知れず、どこかに着地するのである。
江戸時代に始まった遊びだったのだろうが、今日まで続いている。

レトロ4 そのレトロ館では、椅子に座って、昔の芸能雑誌や、マンガ雑誌を
読めるようになっており、時間を過ごそうと思えば幾らでも過ごせる。
それをチラチラと眺めるうちに、我が家にもレトロになるようなものが
一点あるなと思い出した。
それは、1967年発行の「ボーイズライフ」という雑誌の付録について
いた「SF特集」という冊子である。表紙の写真には、「サンダーバード」
と「宇宙家族ロビンソン」と「ミクロの決死圏」の一場面が載っている。
ぼくらの世代にとっては、懐かしさの極みではなかろうか。
どうして、この一冊だけを残しておいたのかはわからないが、多分、
多くの人も、こういう、お宝を少なくとも一つくらいは死蔵しているので
はないだろうか?こういうのは、僕らの世代の人に眺めてもらわなけ
れば何の価値もないものであり、どこかのレトロ館に置いてもらった
ほうがいいのかもしれない。
(2009年6月)

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