はなわのヒット曲「佐賀県」
石の2 ダサい佐賀県のすごい実力


はなわ1 「はなわ」というコメディアンが歌う「佐賀県」という歌が、
全国的にヒットしていて、最近、よくテレビで紹介される。
ベースギターだけで漫談調に歌う。(2003年6月)
歌の内容は、佐賀県の田舎性を徹底的にチャカしている。

田んぼしかないとか、牛丼屋がやっとできたと思ったら、
「吉田屋」だったとか、ジャスコの前でみんなが記念撮影を
しているとか、佐賀県をバカにして笑いを誘っている。

確かに佐賀は田舎である。
佐賀は九州のどこら辺に位置するでしょう?と聞けば、
九州圏外では答えられる人の方が少ない。そして、佐賀は、
同じ九州人からもバカにされている。例えば、
「佐賀県人が歩いた跡には、ペンペン草も生えない」だの、
「渋滞の先には、必ず佐賀ナンバーの車が法定速度で走って
いる」などと言われている。はい、実にのどかな田舎です。

では、はなわの歌に、佐賀県人が憤慨しているかといえば、
逆である。 「全くだ」などと言って結構、おもしろがっている。
佐賀2  なにしろ、はなわの歌のビデオにはなんと佐賀県知事
まで出演しているのだ。  ヒットしたことで
「これで佐賀が有名になる」
と手を叩く県民も多い。
ぼくの両親は、先祖が佐賀で、縁も深く、ぼくも佐賀が大好き
そして、はなわの歌がおもしろくてたまらない。
もっと、チャカしてくれと応援したいくらいだ。

東北でも、かつて吉幾三が「俺は田舎のプレスリー」で、
地元の青森を徹底的に田舎扱いして、大ヒットさせた例がある。
 その時にも、青森県人が憤慨したという話は聞かない。
要するに、大いなる田舎を自負していて、東京とは違って当たり前
と思っているからこその余裕なのだ。佐賀県もそうだと思う。

ただ、佐賀の場合は単なる田舎ではない。
実は、歴史的に見れば、すごい実力を持つ土地柄なのだ。
佐賀3 江戸時代の幕末期、佐賀は独自の最先端の科学技術で、日本を
リードしたという履歴を持っている。
 はなわの歌をぼくがテレビで初めて知ったその日、ある民放局で
関口宏の司会で「幕末のプロジェクトX」という番組をやっており、
その内容が、佐賀藩の物語だったのだ。それによると…

当時、長崎の港湾防衛を幕府より命じられていた佐賀藩は、
欧米の進んだ大砲や蒸気船などに対抗するには、同じ技術を
自前で持つべきだと考え、藩主・鍋島直正のお声がかりで、
技術者を集め、プロジェクトチームを組む。 とはいっても、
メンバーはただの蘭学者、医師、からくり人形師、に過ぎない。
蒸気機関などは、原理も何も、話と簡単な絵だけの知識しかない。

ところが、彼らは数年の苦闘の末、日本で初めての反射炉を作り、
大砲の増産に成功し、蒸気機関の実際を探り当て、ついに独自に
小型の蒸気機関車を走らせることに成功し、さらに日本初の
蒸気船までも作ってしまうのだ。
 佐賀藩はやがて薩長と共に倒幕軍に加わるが、その戊辰戦争に
おいて佐賀藩が製造したアームストロング砲が大活躍する。
砲身の内部に螺旋状の切り込みを入れた技術により、命中率と
saga5 破壊力を大幅にアップさせたのだ。
 それは、上野の山に立てこもっていた頑強な、幕府軍の彰義隊を
一日で粉砕してしまった。
 維新後、明治政府は軍艦を多数、外国から買い入れたが、
その修理技術を持っていたのも、国内で唯一、佐賀県だけだった。
後に、プロジェクトチームの長老だった、田中儀右衛門は、
東京の芝浜に田中製作所という会社を興したが、それが現在の
「東芝」に発展した。

また、佐賀藩といえば、すさまじい教育立国であり、
佐賀4 藩学校で落第になった藩士の家は、家禄の6割を没収される
という厳しさだったので、青年達は、家を背負って必死で勉強した。
その結果、明治政府が成立した時、高級官僚の多くを佐賀藩士が
占めた。「明治政府の政治は薩長が行い、事務方は佐賀が支えた」
と言われるほどである。また、大隈重信は早稲田大学を創立した。

明治維新の立役者は、薩長土肥であり、その「肥」が肥前・佐賀で
ある。その働き盛りを引退して、田舎になったのが今の佐賀県なの
だ。バカにされても余裕なのは、その隠れた実力ゆえかもしれない。
ちなみに、薩長土の、鹿児島県、山口県、高知県も今は、
立派な田舎である。
 少し不思議である。
薩長土肥は、維新前も田舎であったが、維新後も
そのまま、今に至るまで、ド田舎のままである。

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