日本が植民地にならなかったのはなぜか?
これは竹村公太郎という、元建設省の役人であり、今は研究者になって
いる人が書いた「日本史の謎は『地形』で解ける」という、目からウロコが
ボロボロ落ちる凄い本があるが、その続編の中で語られている、話題の
一つである。では、日本が幕末の時代、欧米の植民地にならなくて済ん
だのは何故か?それは、日本には何もなかったからである。
資源はない、奴隷にするべき屈強な人間もいない、大規模農業をできる
ような平原もない。夏には湿気が強く蒸し暑いし、冬には逆に雪が降る。
川は怖ろしい急流であるし、台風が来れば洪水が頻繁に起こる。つまり、
日本からは収奪するべきものが何にもなかったのだ。
それどころか、大地震、大津波、火山の噴火、洪水、山崩れが、繰り返し
繰り返し起きるのである。誰がこんな土地を植民地にしたいと思うだろうか?
特に、欧米諸国が開国を求めてやってきた幕末という時期は、日本列島に
おいて大地震や、大津波が集中した時代だったのだ。英国が領事館を置い
た下田はほとんどの住居が崩壊したし、津波でロシアの軍艦は沈没した。
西欧人というのは地震をほとんど知らないし、恐怖に震え上がったのだ。
つまり、こんな国を植民地にしても、何の利益にもならなかったのである。
逆に、日本にとっては、西欧の文明を受け取る良い機会になった。それ
によって、アジアで唯一、西欧列強に並ぶ強国になることが出来たのだ。
その西欧文明を取り入れることによって、欧米とケンカ出来るようにまで
なり、ロシアには勝ったが、アメリカには完膚なきまでに敗れてしまった。
それでも日本は戦後復興し、一時期は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と
まで呼ばれるような経済大国になった。しかし、2011年の東北大震災を
経験して改めて思ったのは、やはり日本は自然災害の宝庫だということだ。
日本は世界の大地震の20%を受け持ち、活火山の10%を受け持ってい
る。さらに大雨や洪水も多い。ありとあらゆる大災害が数年ごとに、必ず
繰り返しやってくる。日本には、中世のヨーロッパ、あるいは中国のように
人間が人間を大量に虐殺するという事例はほとんどないが、そのかわり、
人間が大自然の犠牲になることは、自然の摂理として受け入れなければ
いけなかった。復興を繰り返すことが日本という土地の宿命なのだ。
そしてこの先、考えておかなければならないのが、南海トラフ大地震と、
富士山の大噴火である。この二つは必ず遠からず起きるのである。
まず、南海トラフ大地震だが、これは西日本のほとんどを巻き込んで、
静岡から四国までを中心に、大地震と大津波の災害を起こす。
2011年の東北大震災では、東北の太平洋側ののどかな港町がほぼ
消滅したが、同じことが静岡や和歌山、四国でも起こるのである。
歴史学者の磯田道史さんが特に危惧しているのが、浜松の悲劇である。
というのは、東海道新幹線は浜松の辺りでは、そこだけ高架ではなく低い
地面を走っており、もしそこで大地震と津波が起これば、逃れようがない
という。その区間では十数分毎に新幹線が発車していて、多くの車両が
そこで大津波に襲われ、新幹線だけで多分1万人の死者が出るという。
そこまで考えておかねばならないというのだ。南海トラフだけで、西日本
の太平洋沿岸の多くの漁港が津波によって壊滅するだろうし、そのことで
小さな港町という日本の風情は多分、数十年間は失われてしまうのだ。
さらに富士山の大噴火が迫っている。これも歴史的に必ず起こることで
それが起こった場合、東京は灰で覆われ、東海道の交通は遮断され、
首都の交通も麻痺して、経済が壊滅するだろう。それゆえの日本経済の
損失は何十兆円にもなるだろうし、日本経済が回復するまでには数十年も
かかるだろう。ただ、同じ規模の戦争被害や自然災害の被災にあっても、
それを乗り越えて回復してきたのが日本人である。今はもう、その回復の
精神を信じるしかない。
(2018年8月)
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