石の2 アメリカの禁酒法


酒1 ぼくは酒が好きなので、一日たりとも酒を欠かさない。
20歳からの38年間、禁酒したのは数日しかない。
それでも肝臓が壊れないのは、そういうDNAを持たせてくれた
両親に感謝するしかない。ありがとうございます。

そういうぼくなので、イスラム教が飲酒を禁じていると聞くと、
めまいを覚える。なんて、非人間的な宗教なのだと…。
幸い、日本の古来からの神々は、飲めや歌えが大好きなので、
ぼくも幸せに生きているのだが、もし、イスラム教が全世界を支配
してしまったらどうしよう?と心配にになる。
当然、ぼくは反イスラム活動家になるだろう。そして、
飲酒を肯定する飲酒主義革命の闘士となって戦うだろう。
地下組織に入って、ゲリラになるかもしれない。
密造酒を作って、酔っ払って戦うぞ!

などとバカな空想をしていたら、ふっと、20世紀初期のアメリカの
禁酒法というものを思い出した。そういえば、あれは何だったんだろう?
1919年に施行されたが、わずか14年後の1933年には廃案に
なった法律である。つまり、無理があったということだが、
それが施行されるには、当然ながら、それなりの理由があった。

元々、アメリカを建国したのは、メイフラワー号でやってきた
酒2 ピューリタン(清教徒)である。世俗にまみれたカソリックを嫌い、
聖書の原理原則に戻ろうとしたプロテスタントの一部であり、
その中でも特に先鋭化したキリスト教原理主義者の面々だった。
原理主義者というのは要するに、バカ真面目な人々のことである。

彼らは聖書に書かれていることをそのまま信じるのである。
キリストが海の上を歩いて渡ろうが、空を飛ぼうが、あらゆる奇跡を
聖書に書いてあるままに信じるのである。
そして、聖書には神が人間を創造したと書いてあるので、
人間が猿から進化したという、ダーウィンの進化論は信じないし、
学校でも教えない。そういう州がアメリカでは21世紀の今でも、
実際に結構あるのだ。つまり、アメリカの基礎を築いた人々は基本的に
生活は質素で清楚であり、たいへん禁欲的な人々だったのだ。

ところが後に、移民を広く認めたために、イングランドから弾圧を
受けていたアイルランド人や、イタリアのラテン系の人々までもが
どんどん流れ込んで来て人口の相当数を占めるようになった。
彼らは同じキリスト教とはいえカトリックである。最初は差別されて
下層階級として出発するしかなかった。ところが、規律のゆるい
カソリックなもんで、酒を飲んで酔っ払うは、喧嘩するは、
清楚や禁欲などクソ喰らえである。見るにみかねたプロテスタントの
婦人団体が議会に働きかけて実現したのが、禁酒法だったのだ。

ただ、いくらなんでも酒を飲むなというのは無理なので、公に酒を
売るな、酒場を作るなということになった。となると、裏が出来るのは
当たり前である。その裏で稼いだのが、イタリア・マフィアのギャング達
であり、そのボスとしてのアル・カポネが有名である。そのカポネを
酒3 追い詰めて逮捕したのが、財務省の酒類取締局の捜査官達であり、
そのリーダーが、エリオット・ネスだった。彼のやり方は独特だった。
カポネがネスの部下を買収しようとしているのを見越して、敵味方
共に、頻繁な電話盗聴を行い、最初50名いた部下から最終的には
買収できない11名に絞って選りすぐられたチームを作ったのだ。
そのチームが「手出しできない奴ら」という意味で「アンタッチャブル」
というあだ名をつけられたのである。それが映画やテレビになった。

マフィアのアル・カポネは刑務所に入ったが、マフィアと少なからず
関係を持ちながら、実業家としていろんな事業に手を出し、その
一部として、禁酒法を逆手に取って儲けたと評判だった人物に、
アイルランド系のジョセフ・ケネディーがいる。
上昇志向だった彼は、友人のルーズベルトが大統領になるのに
資金援助をして助け、見返りに英国大使という表の顔も得る。
そして、彼の次男の、ジョン・F・ケネディが遂にアメリカの
第35代大統領になり、その弟のロバートも司法長官になる。

結局、禁酒法をやってみたら、裏社会を太らせることになり、
アメリカの表社会の経済にも損失を与えることになったので、
挙句は数年で廃止されることになった。そりゃ当然だろう。
ギリシャ神話の中には、バッカスという酒の神様がいるが、
ギリシャも日本も、ケルト人も、大昔の多神教では、人間の
酒4 営みの中には酒があって当然と考えていたのだ。
逆に考えれば、酒を否定するキリスト教やイスラム教などの、
一神教というのは、人間摂理に反する、ものすごく不自然な
宗教なのだ。いずれ滅びるに違いない。
ぼくはそう信じている。
(2010年)

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