石の2 実方中将の墓


源氏1 我が家から、車で20分、仙台南部の
名取市の山里に、「実方(さねかた)中将の墓」という
名所がある。訪れる人も少なく、名所という程でもないが、
平安京から来た、やんごとなきお方が眠っているという。
しかも、紫式部の「源氏物語」の光源氏のモデルだという。
光源氏のモデルとして、一番有名なのは、源融(とおる)だが、
他にもいろいろ説があり、この実方もその一人だという。
藤原実方という人は、平安時代の藤原一族の
かなり高位の御曹司で、美貌に優れ、歌詠みであり、
その上に、かの清少納言をはじめ、20人以上の
女性と関係があったらしく、当時の京都の貴族社会では、
かなり、もてまくったプレイボーイだったという。

そういう平安貴族が、なんでまた、東北の一角に
眠っているのか?実は、左遷されたのだ。
ある時、天皇の面前で歌会があり、その時、実方は、
藤原行成から、自分の歌について批判をされて口論となり、
行成の冠を奪って床に投げ捨てるという事件を起こした。
しかし、行成は、事を荒立てず冷静であったので、
両者を見た天皇は、実方に対して罰として、
源氏2 「歌枕を見てまいれ」と命じた。
この場合の歌枕とは、前時代の歌に読み込まれた、
東北の名所のことであり、つまり東北への左遷を指す

実方はしぶしぶ東北に赴いた。
とはいっても、陸奥守である。地方長官である。
4年過ごしたが不遜だったらしい。ストレスも貯まっていた
ということもあるのか、近隣の名取郡笠島で、道祖神社の前を
馬で通ろうとした時、地元の人々が、「待ってください!
この神様の前を通る時には、馬を下りて下さい」と
懇願したにもかかわらず、実方は「なんの、こんな神!」と
無視して行き過ぎようとした。すると、突然、馬が暴れて、
落馬し、馬の重みで身体を打って亡くなったという。
哀れである。墓はひっそりと、そこにある。

2008年は、源氏物語が書かれてから、ちょうど
1000年にあたるという。源氏物語千年紀という
お祭りも行われるらしい。ぼくは読んだこともないし、
内容もろくに知らないのだが、要するに平安時代の
プレイボーイの壮大な物語だという。
名だたる文学者が現代語訳を行っているが、
その膨大な量を全部読む人は、少ないという。
源氏3 それにしても、千年前の文学である。
世界史的にみても、最古の小説である。
そういう意味では、世界文化遺産だと思う。
そのモデルの一人が、京都に帰りたいと愚痴を
こぼしながら、実は、東北の田舎で、
馬の下敷きになって、亡くなっていたのである。
華麗なるプレイボーイの終焉地である。

後に、この実方中将の墓自体が歌枕となり、
江戸時代の芭蕉は、奥の細道の旅で、
ここにも寄ろうとしたのだが、雨が降り出して、
泥道になった挙句、道にも迷ってしまい、
とうとう、あきらめて先に進んでいる。
悲しい運命の実方中将である。
教訓、ものごとには、すぐにカッとならないように、
そして、くれぐれも、地元の神様は大切にしましょう。


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