石の2 里芋とタロイモ


里芋1 秋田にドライブした時、道の駅で売っていた
「イモッコ」の苗というのが目についた。
里芋のことである。さっそく、買ってきて、
庭のなるべく日陰を選んで、植えた。
育てて食べるためではなく、観葉植物として
葉っぱを鑑賞するためだ。
庭のアクセントにもなる。

ぼくは里芋というのが、縄文文化の関連で、
昔から妙に気になって仕方がない。
その形状からもわかるが、里芋というのは、
元々、熱帯植物である。
原産地はインドネシアのジャングルで、湿気を好む。
芋類は、実に丈夫で、繁殖力が強く、
そこら辺に投げておいても、スクスクと芽を出す。
「このイモが!」と、ののしりの対象になるくらいである。
だから、大昔から食用として重宝された。

そのかわり、芋類には、毒を持つものが多い。
人類は、そこらへんを選り分けて、育てたのである。
その結果、主食クラスになったのが、
高緯度の寒いヨーロッパではジャガイモであり、
暖かい南洋ではタロイモである。
ジャガイモは乾燥地を好むが、タロイモは湿地を好む。
ジャワ原人が、ポリネシアンとなって広がると同時に、
里芋2 タロイモも、南太平洋に広がっていった。
南太平洋諸国の小さな田舎の島では、今も、
主食がタロイモという国々が多い。
ハワイもかってはそうだった。
昔のハワイの写真を見ると、今のワイキキビーチの
辺りに、タロイモの水田が広がっている。

ハワイの伝統食品に、「ポイ」という、
タロイモをつぶして発酵させたものがある。
日本人の観光客は一口食べて、「まずい」
ということで知られている。

このタロイモは、縄文時代に日本に伝わって、
里芋になった。
日本列島には、元々、野山に生える自然薯、
つまりヤマイモがあったが、それに対して、
よそから栽培種として入ってきたのが、里芋だ。
里芋の英名はTAROである。

日本の縄文人は、アサリなどの魚介類の他に
ドングリなどを潰して、食べていたというが、
里芋の方が、ドングリなどより、ずっと実も大きく、
調理もかんたんで、おいしいはずである。
ところが、縄文文化の本を読んでみると、
里芋を主食にしていたという話がない。
里芋3 不思議である。里芋はどうなっとるのか?

南方から日本列島に上陸した縄文人は、
縄文時代の後半には、西よりも東の方が
人口分布がずっと多くなる。
大阿蘇の噴火のせいか、あるいは東日本が
今よりずっと気候が暖かかったせいか、よくわからない。
やがて、西日本には、大陸から弥生人がやってきて、
縄文文化は東日本に濃くなって、取り残された。

その、東北に、芋煮会という、
里芋を主人公にした、秋の一大イベントがある。
秋になると、家族や親戚、ご近所、仲間で、
誘い合って、河原に出かけゆき、焚き火をたいて、
里芋と肉を鍋で煮て、食べて、酒を飲んで、
一日を野外で楽しむというアウトドア会である。
9月から10月にかけて、あちこちで見かける。
ぼくもこれが大好きなのであるが、
かように、里芋は大事にされているのである。

里芋4 そして、日本には月見という風習があって、
中秋の名月を鑑賞する時、台の上に、
ススキと餅を飾っているが、あれも昔は
餅ではなく、里芋だったらしい。
ここでも里芋は大切にされている。

だから、里芋と肉が、縄文人の主食だった
とぼくは推理するのだが、教科書では、あくまで
ドングリである。
(2005年)







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