石の2 薩摩船の「丸に十の字」はウソ?


薩摩1 江戸時代の和船の話を調べていたら、思いがけない話に出会った。
和船に関しては我が国の第一の研究者である石井謙治さんの
著書によるのだが、映画やテレビドラマや小説などに描かれる
「薩摩藩の船の帆印の、丸に十の字はウソ」だというのである。
もちろん、丸に十の字は薩摩藩の有名な家紋だが、船の帆に
限っては家紋を用いず、上が白、下が黒という「下黒の帆印
にしていて有名だったという。なるほど、遠くから見れば
その方が格段に判別しやすい。

では、なぜ、丸に十の字の、誤解が生じたかというと、
鹿児島おはら節」という、昭和8年頃から流行した民謡のせいだと
いう。「花は霧島、タバコは国分、あれに見えるはオハラハア桜島♪」
という有名なアレである。その2番が、「見えた見えたよ、松原越しに、
丸に十の字のオハラハア帆が見えた♪」という歌詞になっている。
原曲は江戸時代のものだが、この歌詞が作られたのは、
幕末から50年以上も経ち、江戸時代の記憶も薄れた頃らしい。
どうも若いやつが、じいちゃん達に確かめもせずに、イメージだけで
薩摩2 適当に作詞したものらしい。それ以来、薩摩の船というと、
丸に十の字という、勝手なイメージが定着したというのだから、
流行歌というのはおそろしい。

また、帆印というと、四国の金毘羅参りの船には、よく
丸に金の字の帆印が描かれている絵があるが、あれもウソだという。
ぼくが子供のころ、NHKの「みんなのうた」で、「金毘羅船々、追い風
(おいて)に帆かけてシュラシュシュシュ」という歌があったが、
そのバックに描かれていた絵も、帆に丸金の印だった。
しかし実際は無印なんだそうである。

もちろん、商船はそれなりの所属印をつけていたが、それは
実に簡単なもので、多くは、白い帆に、黒い縦長の布を張り付けた
だけのもので、その位置や本数だけで識別したという。
司馬遼太郎の小説「菜の花の沖」で有名になった高田屋嘉兵衛の
商船ですら、何の印もつけていなかったという。

大名各藩の船の帆印に戻ると、シンプルな色分けにした帆印と、
家紋をつけた帆印を採用した藩とは、数から見て半々であり、
薩摩3 大大名になると、圧倒的にシンプルな模様が多かったという。
薩摩船の「下黒の帆印」の他に、例えば土佐藩は、紺・白・紺
という模様だった。実に合理的であり、見分けやすかった。

ちなみに、こちらのローカルのテレビCMで、マルジュウ醤油と
いうメーカーが、よくアニメのCMを流しているのだが、
その内容が、霧島おはら節が流れ、おもしろいお殿様が沖に、
丸に十の字の帆船を見るという構図になっていて、しかも
鹿児島弁のナレーション。ぼくはいつも、何で鹿児島の醤油会社が
こんなに頻繁に東北でテレビCMを流しているんだろうと不思議に
思っていた。ところが、よく調べてみると、山形の醤油会社だった。
明治時代に紅花の商売で起業し、醸造業を起こした老舗なので
ある。社名の「マルジュウ」が、薩摩藩の印とほとんど同じなので、
シャレでそういうアニメCMにしたらしい。しかしなあ、山形人なら
誰でもシャレと思うだろうが、九州人はビックリしたぞ。
(2009年)
(参考:法政大学出版局「ものと人間の文化史」シリーズの
    76巻「和船一」:石井謙冶著)


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