石の2 子供の頃は西部劇が全盛だった


西部1 ぼくが子供の頃は、映画でもテレビでも西部劇が大流行していた。
テレビでは、「ララミー牧場」「カートライト兄弟」を始めとして
人気番組が幾つもあり、家族ぐるみで観ていたし、映画は「シェーン」
を始め、ジョン・ウェイン主演の「駅馬車」や「黄色いリボン」、「アラモ」、
「OK牧場の決闘」、「西部開拓史」などが次々とヒットしていた。
少年サンデーや少年マガジンでも、西部劇の特集が多く、子供たちは、
保安官ワイアット・アープや、ならず者としてのビリー・ザ・キッド、そして
インディアンの酋長ジェロニモの名前を知っていた。そして、ガンマンや
カウボーイの恰好は憧れになり、ガンの早撃ちに男性は目を輝かしていた。

日活アクション映画として、小林旭や宍戸錠などが主演していた作品は、
もっぱら、その西部劇を下敷きにした娯楽作品であり、ガンの早撃ちは
旭より錠の方が上だとか雑誌で、話題になっていたものである。
アメリカの西部劇の人気は日本だけではなく、世界的にも及び、あれだけ
芸術映画を好むイタリアでも一時期、マカロニ・ウエスタンという西部劇の
シリーズが製作されていたことがある。クリント・イーストウッドは、その中の
「荒野の用心棒」で主演して一気に名声が上がった。

ところが、1960年代前半にあれだけ世界中で人気のあった西部劇は、
1960年代後半になると、次第に人気を失っていき、今ではテレビは
もちろん、映画でもほとんど製作されることがなくなった。
そのきっかけは、やはり、ベトナム戦争とアメリカン・ニューシネマである。
米軍のベトナム介入により、アメリカでは自国への信頼が揺らぎ、
若者の間には反体制の気分が盛り上がり始めた。特に1968年に起こった
ベトナムでの米軍による「ソンミ村虐殺事件」がマスコミによって報じられると、
反戦運動が大きくなり、体制をドロップする若者が増え、映画でも一方的に
アメリカの正義を讃える映画は衰退し、現実を見つめる映画が増えた。
「イージーライダー」などのアメリカン・ニューシネマの映画ではほとんどが
従来のアメリカ映画のようにハッピーエンドでは終わらなくなった。

1969年の映画「小さな巨人」はダスティ・ホフマン主演の西部劇映画だが、
西部3 主人公は先住民でもあり、白人でもあったという複雑な設定の物語だ。
そして、1970年になると「ソルジャー・ブルー」という、映画が話題になった。
アメリカの騎兵隊が、インディアン部落を襲って女子供を容赦なく虐殺する
という映画である。西部劇全盛だった頃には考えらないような内容である。
つまり、ベトナム戦争をきっかけとして、インディアン側から見つめる作品
が出て来たのである。となると、白人にも非があるのが明らかであり、
それまでの西部劇のように、インディアンやアジア人を「未開な野蛮人」
とみなす、能天気なドラマ作りが影を潜めたのである。

それに輪をかけるように、俳優のケビン・コスナーが監督・プロデューサー
として製作した映画「ダンス・ウィズ・ウルブス」はほとんど、西部劇の終焉
を彩ったような作品である。主演でもある白人のコスナーが、インディアン
の文化に溶け込み、「狼と踊る男」という部族の名前をもらい、騎兵隊から
彼らを守ろうとする。1990年公開の作品で大ヒットした。

その頃から、西部劇で呼ばれ続けたインディアンという呼称を、見直そうと
いう動きも始まった。なぜ彼らが白人からインディアンと呼ばれたかという
と、15世紀にヨーロッパからインドを目指そうと航海を始めたコロンブスが、
アメリカ大陸をインドと勘違いしたためというアホみたいな理由である。
そこでやっと、ネイティブ・アメリカン(先住者)と称されるようになった。
アラスカにいたエスキモーも、良い意味での「イヌイット」と呼ばれるように
なっている。ヒマラヤのエベレストが「チョモランマ」と現地語で呼ばれる
ようになったのもこの頃である。
1994年には、白人と黒人との差別が酷かった南アフリカ共和国でも
ついに、アパルトヘイト政策が撤廃され黒人のマンデラ・ネルソン大統領
西部2 が誕生した。つまり、かつて植民地主義を好き勝手にやってきた欧米諸国
が「そろそろ潮時やな、譲歩するか」と思い始めたのが、20世紀の最後
辺りなのだ。

「遅いわ!」と思う。その植民地主義のおかげで、日本は開国させられ、
朝鮮半島や満州でロシアと戦わなければならなかったし、アフリカ大陸
では今も殺し合いが続いているし、中東ではイスラム圏内に鬼っ子の
ようなイスラエルを建国してしまった。はっきりいえば、中東から
イスラエルがなくならない限り、中東の戦争はなくならないのである。
なんで西部劇の話がここまで来るかというと、今でも、欧米諸国は
それは経済発展の歴史の趨勢であるとしか認識していないのである。
少しは、自分達のご都合主義に気づかんかい!と思うのである。
他人への思いやりというのに欠けているのである。

ただ、GHQの日本人への洗脳のおかげで、ぼくらはアメリカさんが
大好きになり、西部劇が大好きになったし、大変楽しんだものだ。
同じ時代に日本でも流行っていた東映の時代劇のように、主人公
と悪役がはっきりしている勧善懲悪のドラマはやはりバカになれば、
気分がすっきりして実におもしろかったのだ。
(2015年4月)

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