石の2 本当に怖かった第三次世界大戦


世界1 ぼくが生まれたのは1952年(昭和27年)であり、この年の4月、
サンフランシスコ講和条約によって、日本は独立国になった。
というと、若い人はもちろん、僕らの世代でも「え?」と驚く人がいるが、
それまでの日本は、終戦から7年間、アメリカの占領下にあり、
極東軍司令官・マッカーサーのGHQにより統治されていたのである。
だから、それまでは銀座四丁目交差点の交通整理は米軍のMPが
やっていた。それが、4月からいきなり日本の警察官がやるようになった。
母がぼくを生んだのはそういう年である。日本に主権が回復された実に
めでたい年だったのである。

ただ、その2年前に朝鮮戦争が勃発した。
これは戦後初の、民主主義圏と共産主義圏とのぶつかり合いだった。
いわば、民主主義の親玉であるアメリカと、共産主義の親玉である
ソビエトとの、朝鮮半島における、代理戦争だった。
この戦争は38度線で双方がにらみ合ったまま停戦となり、
北朝鮮と韓国に別れて現在に至っている。

ただ、この戦争によってアメリカは、共産主義のソビエトを脅威として
強く意識するようになり、日本を防共の砦として考えるようになる。
日本も朝鮮戦争の特需景気により、経済復興を果たし、その先ずっと
世界3 グラフの右肩上がりという経済成長を果たしてゆくのだ。

科学の発達もどんどん進み、第二次大戦では戦闘機はプロペラ機で
戦っていたが、朝鮮戦争ではもうジェット戦闘機になり、その後、
ミサイルが発達し、どんどん大型化し、大陸間弾道弾というのが
現れるようになった。原爆や水爆の核弾頭をミサイルで直接、
相手の国に打ち込めるようになったのである。その数もどんどん増え、
やがて人類全てを何度も滅ぼせる程の量になった。
そこまでなって、もし米ソが本気で戦争をすれば人類は滅ぶという恐怖が
全世界に広がった。本当に恐怖したのだ。

当時、ぼくは中学生だったが、第三次世界大戦によって人類が滅ぶことを
描いた映画も次々に作られた。アメリカ映画では「渚にて」、
日本では東宝の「世界大戦争」が印象的だ。
「少年サンデー」や「少年マガジン」といった少年雑誌でも、毎週、
「もし、第三次世界大戦が起こったら?」という特集が、絵物語入り
で続々と組まれるようになった。みんな死ぬのだ。全人類が熱に
焼かれてみんな死ぬのだ、と繰り返し繰り返し説明された。
ぼくは、それを読んだある夜などは、怖くて眠れず、布団の中で
涙を流したこともある。当時の少年にはそういった人も少なからず
いたはずなのだ。しかし、そこは少年のこと、翌朝にはすっかり忘れて、
目の前の授業やら友達との遊びで忙しく、日常に埋没した。

世界2 ところが、そういう時期に起こったのがキューバ事件である。
アメリカのすぐ南にあるキューバが1959年の革命により
共産主義国家になり、ソビエトから軍事支援を受けるようなり、
1962年に、そこに核ミサイルが持ち込まれることになったのだ。
アメリカにとっては、喉元に突き付けられる刃物である。
ケネディ大統領は、もしソビエトがそれを強行するならば、
攻撃すると宣言した。そうなったら、第三次世界大戦になる。
核ミサイルが飛び交い、世界が滅ぶのだ。世界中が緊張した。
しかし、直前になって、フルシチョフの決断によって、
ソビエトの輸送船団は引き返した。世界は胸をなでおろした。
だから、今、人類はまだ続いている。

その後、米ソの間では、人類の生存に対する責任を背負っている
という理解の上で、両国の首脳が直接すぐに意思疎通できるように
「ホットライン」という電話が設けられ、やがて、デタントと言われる
緊張緩和策が次々と取られるようになった。そういうことで、
全面核戦争の危機はやがて薄らいでゆくのだが、その代わりに
ベトナムなどで、代理戦争が行われるようになるのである。

それにしても、キューバ危機の頃は、本当に人類の破滅かと
布団の中で泣くくらいに怖かったのだよと話しても、息子の世代は
なかなか、わかってくれないのだ。その気分をわかるには、
1961年の東宝映画「世界大戦争」のDVDを是非、観て欲しい。

フランキー堺演ずる主人公の一家は、小市民として幸せな生活を
送っていたが、ある日、子供達が早々に学校から帰ってくる。
「おまえ達、学校はどうしたんだ?」「あら何も知らないの?戦争が
始まったんだって、だから学校もお休みなのよ」。両親があわてて
ラジオをつけると「我が国にも核ミサイルが飛んでくるかもしれません」
という緊迫したアナウンサーの声。世界核戦争が避けられないと言う。
外では逃げ惑う人々があふれる。主人公はせっかく、前の戦争を
生き延びて帰ってきて幸せな家庭を作ったのにと愕然とする。
その夜、食卓にはごちそうが並ぶ。巻き寿司、いなり寿司、オムレツ。
世界4 幼い子供達は「わあ!正月みたい」と大喜びする。
「さ、みんな、好きなものをどんどん食べろ!」と父は泣き声で言う。
映画の最後、世界各都市が核ミサイルで破壊されている頃、洋上では
その報せを聞いた、笠智衆が演ずる船乗りが
「そうですか。地球上から人類はみんないなくなるんですか。人間って
いいもんだと思っていたけどなあ」とつぶやく…。

この映画もそうだが、戦争を扱った映画には、犯罪映画と違って
悪者は全く出て来ない。むしろ、アメリカの首脳も、ソ連の首脳も
必死で核戦争を避けようとする姿が描かれている。
戦争はそれでも起こってしまう。本当に怖いのは、そこなのだ。
(2010年)

追記:
2011年9月12日にアメリカのABCテレビが、ケネディ元大統領夫人の
ジャクリーヌが、大統領の暗殺の4カ月後、インタビューに応じた音声テープを
初めて公表したが、それによると、夫人はキューバ危機の際、ソ連との核戦争が
始まるのを真剣に怖れ、家族で同じ場所にとどまるように大統領に懇願し、
核戦争が起こったら家族で一緒に死にたいと熱望したことなどを告白している。


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